数値予報の歴史

リチャードソンの夢

最初に数値シミュレーションによる予報実験を試みたのはイギリスのリチャードソンです。コンピュータの実用化以前の1920年頃、およそ水平200km間隔で鉛直5層の格子を用い、6時間予報を1か月以上かけて手計算で行いました。残念ながら、用いた数値計算に難点があり、非現実的な気圧変化を予測してしまい、野心的な試みは失敗に終りました。しかし、リチャードソンはその著書の中で、「6万4千人が大きなホールに集まり一人の指揮者の元で整然と計算を行えば、実際の時間の進行と同程度の速さで予測計算を実行できる」と提案しました。数値予報の将来を信じたこの言葉は、「リチャードソンの夢」として有名です。

お天気工場

数値予報の実現

第2次世界大戦後、数学者のフォン・ノイマンは気象学者のチャーニーやフョルトフトとグループを組み、世界最初の実用的なコンピュータといわれた真空管式のエニアックを用いて、数値予報の実験に成功しました。リチャードソンの失敗を乗り越えたこの成功は、コンピュータの出現に加えて、大気の大規模波動のメカニズムの理解が進んだこと、数値計算法について十分検討を加えたことも大きな要因でした。この成功を契機として、気象の数値シミュレーション技術は急速に発展しました。

1955年、米国気象局はコンピュータ(IBM701)を導入し、数値予報を実用化しました。その4年後の1959年に日本の気象庁でもIBM704を導入し、アメリカに次いで数値予報を開始しました。IBM704は日本政府が行政用に導入した初めてのコンピュータで、導入当時は大きな話題となりました。ただし、その性能は今日のパーソナルコンピュータにも遠く及ばないため、当初の数値予報結果は現場の予報官の使用には耐えず、予報官の信頼を得るまでにはかなりの年月を必要としました。気象庁は数値予報モデルの改良に力を注ぐとともに、5~8年毎に最新のコンピュータに更新して計算能力を向上させ、また気象衛星等による新たな観測データの利用も進めて、数値予報の精度を格段に向上させました。今日では数値予報は、予報業務を支える根幹として不可欠なものとなっています。

気象庁で運用されるIBM704

数値予報開始当時の大型計算機

令和6年3月に更新したスーパーコンピュータ

令和6年3月に更新したスーパーコンピュータ

線状降水帯予測スーパーコンピュータ

線状降水帯予測スーパーコンピュータ