◆ 特集 ◆ 気象業務150周年 ~歩み続けて150年 防ぐ災害・守る未来~

 気象庁では、気象、地震、火山などの自然現象を24時間365日、絶え間なく監視し、観測結果を瞬時に集約して解析し、天気予報や、防災のための情報を発表しています。

 このような「気象業務」は、明治8年(1875年)の開始以来、令和7年(2025年)に150周年を迎えました。ここでは、気象業務150年の歴史と、関連する記念事業等について特集します。

1 気象業務150年の歴史

 気象庁では、気象業務150周年を迎えるにあたり、150年の時代の流れの中で、気象業務がどのような変遷をたどってきたかを記録し、次の50年、100年を見据えて、気象業務の更なる発展の基礎とするため、「気象百五十年史」を編纂しました。

(気象百五十年史)https://www.jma.go.jp/jma/kishou/info/150th/chronicle.html


 本節では、気象業務の150年間のおおまかな流れを紹介します。各時代の出来事や、個別の事項の歴史にご興味を持っていただけましたら、より詳しい内容について、ぜひ気象百五十年史をご覧ください。

(1)気象業務のはじまり

 日本の気象業務のはじまりは、明治時代のはじめ、西洋の制度や技術を取り入れ、急速に近代化の道を歩んでいた頃に遡ります。測量士として来日していた英国人ジョイネルが気象観測の必要性を訴えたことを契機として、最新の気象測器や地震計が西洋から持ち込まれ、明治8年(1875年)6月1日、東京府第二大区溜池葵町(現在の東京都港区虎ノ門)において、「東京気象台」による地震観測が、同月5日に気象観測が開始されました。

 まもなく気象観測の重要性は、特に農業や海難防止の観点で受け入れられ、全国に「測候所」が設立されます。この時代の測候所には、官立のほか、府県立や私立のものもありました。

 測候所の観測に基づき暴風警報の発表や天気予報を目指す東京気象台は、ドイツ人クニッピングの知見を頼って雇い入れ、当時の最新技術であった電報を駆使し、全国の測候所から気象データを迅速に収集する体制を整えました。こうして、明治16年(1883年)には天気図の作成と暴風警報の発表を、翌年の明治17年(1884年)には天気予報を開始しました。日本で最初の天気予報は、「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」という、全国の予想を一文で表現する簡素なものでしたが、最新の技術を活用し、観測、データ集約、予測、情報発表をする理念は、今日まで受け継がれています。

 東京気象台は明治20年(1887年)に「中央気象台」と改称し、明治23年(1890年)には法令上も正式な機関として定められます。翌年にはクニッピングの満期解傭に伴い、日本の気象業務は西洋の先達から自立します。

日本初の天気予報発表時の天気図

(2)気象業務の展開、戦争の影響

 明治末期には火山観測がはじまり、大正時代に入ると海運の発展を背景として神戸に「海洋気象台」が設置されたほか、「高層気象台」、「地磁気観測所」、「測候技術官養成所」(のちの気象大学校)が誕生します。また、第一次世界大戦前後の国際情勢の中で、外地にも気象業務が拡大していきます。

 一方で、大正12年(1923年)の関東大震災では南関東を中心に甚大な被害が生じ、中央気象台庁舎も相当な被害を受けました。この震災を踏まえ、地震観測網の更なる拡充に取り組みました。

 大正14 年(1925 年)には、無線技術の進展により、中央気象台は気象無線通報を開始し、また、東京放送局(のちの日本放送協会)のラジオ放送がはじまり、気象情報の活用の幅が広がります。

 大正後期から民間航空事業が展開されたことを受けて、昭和5年(1930年)に航空機への気象情報の提供がはじまります。昭和初期にはまた、高層気象観測や海洋気象観測の体制が充実し、国際的な研究観測にも参画し、多くの成果が生まれました。その後、戦時体制の拡大に伴い、昭和14年(1939年)までに全気象官署が国営化されます。太平洋戦争がはじまると気象報道管制が布かれ、気象情報が機密扱いとされる中で、観測や予報を継続しました。

春風丸

(3)戦後復興、気象庁誕生

 終戦から1週間後、天気予報のラジオ放送が再開しました。戦後の復興に邁進する中で「気象研究所」が発足する一方で、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の監督下で、戦時中に膨張した組織や人員の整理が敢行されます。サンフランシスコ条約により主権が回復した後には、世界気象機関(WMO)などに加盟し、国際舞台にも復帰しました。

 国際機関への加盟のため国内の法整備が必要とされたこと、また、相次ぐ自然災害を踏まえ、気象業務の基本制度を確立する必要が高まったことから、昭和27年(1952年)に「気象業務法」が成立します。無線ロボット雨量計や気象レーダーの運用開始など、豪雨災害対策を進める中で、防災気象業務を重視した気象台の整備や拡充が社会的に強く要請されるようになります。このような背景から、昭和31年(1956年)、中央気象台は「気象庁」に昇格します。

 戦後にはまた、電子計算機の実用化が進むとともに、大気現象の理解が進んだことで、気象の数値シミュレーションの技術が急速に発展していました。気象庁は昭和34年(1959年)、日本の官公庁で初めて大型電子計算機を導入し、数値予報を開始します。当時の数値予報は予報官の信頼を得るには至りませんでしたが、時代とともに計算機の性能が飛躍的に向上したこと、数値予報モデルの改良を重ねたことで、現在では、スーパーコンピュータによる数値予報は気象業務の根幹を支えています。

数値予報開始当時の大型計算機

(4)WWWとNWW

 昭和34年(1959年)の国連総会にて、当時繰り広げられていた宇宙開発競争を背景に、「宇宙空間の平和利用に関する国際協力」という決議が採択されました。これに伴い、WMOは気象業務における宇宙技術の利用可能性について報告が求められ、昭和38年(1963年)、国際的な観測・予報業務の基礎となる「世界気象監視(WWW:World Weather Watch)」を立ち上げました。

 WWW計画において、気象観測データや予報資料などの国際的な交換を行うための通信ネットワークとして「全球通信システム(GTS)」の整備が進められ、東京が主幹線に含まれました。

 国内でも情報通信技術を駆使して、頻発する集中豪雨への対策のため、昭和46年(1971年)には全国20か所の気象レーダー観測網を完成させ、昭和49年(1974年)には「地域気象観測システム(アメダス)」の運用を開始しました。

静止気象衛星「ひまわり」

 WWW計画ではまた、複数の静止気象衛星の連携により、地球全体にわたる連続した気象観測の構想が示されました。日本も静止気象衛星の打ち上げを決意し、機体の開発に加えて、衛星データの処理を担う「気象衛星センター」を設置するなど着々と準備が進められ、昭和52年(1977年)、静止気象衛星「ひまわり」が打ち上げられました。翌年には観測を開始し、南半球も含む広範囲の空からの雲の写真を3時間ごとに撮影できるようになり、日本周辺の気象監視能力が格段に向上しました。

 国際的にはWWW計画が推進される一方で、昭和50年代に気象庁は「国内気象監視(NWW:National Weather Watch)」を企画し、地域的・時間的にきめ細かい量的予報の提供を目指しました。以降平成初期にかけて、NWW計画の下、数値予報技術の発展や気象データ利用の高度化を踏まえ、観測・予測情報や防災気象情報の充実を推進しました。

(5)現代の気象業務

 平成初期には官民の役割分担が議論を呼び、平成5年(1993年)に気象予報士制度が創設されました(予報業務の自由化)。一方で、雲仙岳噴火、北海道南西沖地震などの災害が相次ぎ、特に平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災は、政府の災害対策が見直される大きな契機となりました。また、情報通信技術の飛躍的発展により、気象業務においても大容量データの迅速な処理が可能となり、平成19年(2007年)に一般提供を開始した「緊急地震速報」など、防災気象情報の高度化を推進しました。

 平成23年(2011年)には戦後最大となる被害をもたらした東日本大震災が発生し、気象庁は津波情報の改善など、多くの課題に取り組みました。平成25年(2013年)には「特別警報」を創設するなど、防災気象情報を充実させ、防災官庁としての役割を深化していきました。

リーフレット「特別警報」

 近年は、相次ぐ豪雨災害や台風災害を踏まえ、線状降水帯や台風等の予測精度向上を喫緊の課題とするとともに、防災気象情報がより良く活用されるよう、地域に根差した防災を推進しています。さらに、先端AI技術の導入に向けた取組など、気象業務の最新の話題について、本書「気象業務はいま2025」の各節で紹介しています。


コラム

●NWWシステム計画の頃


元気象庁長官

小野 俊行


 1960年代の職場には、熟練の名人が多かった。彦根地方気象台勤務時、無線モールス符号(トン・ツー)を受信して天気図に記入していたが、私は一字一字に全集中で青息吐息、先輩の多くはタバコ片手に、時には雑談しながら悠々とこなしていた。本庁予報課勤務時、台風が発生すると、予報部長、予報課長、天気相談所長が現業室に来て、それぞれの得意技による進路予想図を現場の作業机にさりげなく置いて立ち去る姿を見た。家族的な雰囲気の中で個性豊かに仕事を楽しむ、古き良き時代だったと思う。

 1970年に企画課に配属された時は戸惑った。長期計画、総合調整って何? マニュアルは勿論、前例も見当たらない。世界の気象業務は、世界気象監視計画(World Weather Watch)を中心に順調に発展しつつある一方、社会の急速な変化の中で、天気予報は10年1日の感がある。とりあえず、向こう10年内の社会の要求(ニーズ)と技術(シーズ)の接点の手探りからスタートした。ニーズについては、建設・航空・鉄道・道路・農業・環境・電力・報道等の分野の20数名の識者のご意見をいただいた。柳田邦男氏(NHK、後に災害・事故等のノンフィクション作家)の「気象庁は宝(情報)の持ち腐れ」、高秀秀信氏(建設省、後に横浜市長)の「気象庁は伝統の蛸壺に閉じこもりがち」とのご批判が鮮明に記憶に残っている。情報・通信技術については、コンピュータ・通信企業の約10名の専門家のお話を拝聴した。気象庁は、モールス通信からテレタイプ通信に切り替えて間もない時期だったが、コンピュータは、大型と小型に2極化し、独立の計算機械からネットワークシステムへ進展する、通信端末は小型コンピュータ内蔵へ、90年代には小型コンピュータの個人利用が普及する等々、私には目からうろこだった。気象、地震、火山、海洋等の技術については、庁内約250名の専門家を対象として、デルファイ法に準じた収束アンケート調査を行った。庁内作業グループでの検討を経て、報告書「気象業務における諸問題-長期展望」を作成した。やや風呂敷を広げ過ぎたきらいもあり、課題のうち「地域・時間細分した量的予報のシステム(仮称:NWW(National Weather Watch)システム)」にしぼって、次の報告書を作成した。核心は、観測・予測・利用者への情報提供の全過程の迅速化に向けて、自動化・オンライン化を最大限進めることだった。その後、NWW委員会と資料伝送網・コンピュータ総合利用・予測技術開発の三分科会による全庁的な検討を経て、通信・コンピュータ・レーダーデジタル化等の施設整備と数値予報モデルの高解像度化・数値予報から局地予報への客観天気翻訳・短時間雨量予測技術等が進展し、70年代後半から90年代前半にかけて、逐次実用化段階に入った。

 半世紀を経た今、当時夢見た、さらには夢にも見なかった気象業務の発展を実感している。近年の私の気象情報利用は、低山徘徊、小旅行、地域の祭り、花火見物等の狭い範囲だが、スマホで、何処でもいつでも多様な気象情報が入手できるのは有り難い。2025年度末には、水平解像度1kmの局地数値予報モデル運用が開始されるとのこと、来春が待ち遠しい。


コラム

●気象業務150周年に寄せて


東京大学名誉教授

新野 宏


 今から150年前、東京気象台で気象業務が始まった1875年6月の地上気象観測の記録を、気象庁のホームページで見ると、6月5日からは日降水量、同10日からは日平均気温、日最高気温、日最低気温が観測され始めたのがわかる。以来、科学技術の発展とともに、多くの新しい観測機器が導入され、また電子計算機の性能の向上とともに数値予報モデルもめざましい進歩を遂げた。さらに、携帯電話やインターネット等通信手段の発展により、画像による気象情報の即時的な提供が進んだだけでなく、気象情報を他の情報と組み合わせて、防災・交通・電力などや様々な産業・生活に活用する可能性も拡大してきた。一方、産業革命以来の人間活動による地球環境問題が顕在化し、地球規模の課題となってきている。気象庁では、過去150年にわたり、このように急速に発展する科学技術や変化する社会・環境に対応して、不断の努力により最先端の技術を導入しつつ必要な観測・予報を行い、防災・生活・地球環境変化に関する情報を提供してきた。この間、昼夜を問わずこれらの業務を遂行されてきた気象庁職員の皆様に心より敬意を表したい。

 過去150年間に蓄積された観測データは貴重な財産である。例えば、気象庁では2001~2004年に、各官署の観測開始以来の降水データを電子化する作業を行なった。これにより,100年以上にわたる降水強度別の長期変動などが調べられるようになった。現在も蓄積されつつある多くの観測データをいかに広く利用していただける形で保存していくかは重要な課題である。過去の観測データと最新の数値モデルを組み合わせて「データ同化」を行ない、過去から現在に至る大気の状態を最も信頼できる形で推定した「再解析データ」も、全球に対するものから、高解像度の日本域に対するものまで、気象庁が独自に、あるいは他研究機関と協力することにより作成されているが、従来は専門家の利用が中心だったものが、AIの普及により学習データとして、気象業務だけで無く幅広い産業分野で活用されつつある。このように、信頼できる観測データの取得と、より高精度の数値モデル・優れたデータ同化手法の開発は、AIが発達する今後も社会に不可欠であり続けるであろう。

 最近、豪雨被害を生ずる線状降水帯の早期予測が大きな課題となっている。数値モデルの精度向上や高解像度化、アンサンブル予報の導入などが進められているが、豪雨のもととなる海上の水蒸気の観測が重要であろう。船舶に搭載したGNSSや人工衛星による水蒸気観測、アメダスの湿度観測などにより、予測の改善が期待される。一方、観測・予報が改善されても、それらに基づく防災情報がわかりやすいものでなければ機能しない。「防災気象情報に関する検討会」で整理されたように、わかりやすい名称の警戒レベル相当情報が考案され、使われるようになることが期待される。

 人口が減少し、国の財政が厳しくなって、高度成長時代のインフラの維持が難しくなりつつある現在、ハードに頼るだけでなく、ソフトによって国民の安全・安心を守る気象業務の重要性は一層増していくものと思われる。気象庁の今後の奮闘に期待したい。


コラム

●歴史研究の進展への期待~気象業務150周年に寄せて~


大東文化大学法学部 准教授

若林 悠


 組織にとって活動の節目の年は、それまでの歩みを振り返り、将来の展望に思いを馳せる機会であるが、研究者にとっては歴史研究の状況を進展させる好機でもある。2025年から遡ること50年前の1975年は、気象業務100周年であった。この記念事業として『気象百年史』が刊行され、同書は『測候時報』や『天気』といった資料とともに気象業務の歴史を研究する人たちにとっての参照すべき基礎資料となった。筆者も恩恵を受けた一人である。

 だが『気象百年史』は、当然のことながら刊行年に近づくほどその時期に関する記述量が相対的に少なくなり、刊行後の1970年代後半以降のことは書かれていない。同書が充実した資料であるがゆえに、現在に近い歴史を研究する場合は、基本的な史実を押さえていく際に少々困ったことになる。この状況で恐らく真っ先に思い浮かぶ資料であろう『今日の気象業務』(現在の『気象業務はいま』)は、毎年の業務の動向を知るうえで重要な資料である。惜しむらくは『今日の気象業務』の刊行開始が1995年からであるということであろうか。さらに様々な資料も用いて一つずつ史実を明らかにしていったとしても、それらの史実間の関係性を説明できなければ、歴史を叙述することはできない。明治期から昭和戦時期までの近代の気象業務の歩みには、『気象百年史』や様々な歴史研究によって一定程度の参照軸となる通史のようなものがあることに鑑みれば、昭和戦後期以降の気象業務の歩みはそうした参照軸を欠いてきたようにみえる。かくして現在に至る50年間の気象業務の歴史的展開を叙述する試みは、史実の積み重ねとその捉えやすい筋道を求めて模索のなかにある。

 とはいえ50年の歳月は、気象業務とその取り巻く社会環境を変化させるには十分すぎる時間であった。筆者も調べてきた出来事でいえば、静止気象衛星「ひまわり」の打ち上げ、降水確率予報の開始、気象予報士制度の開始やお天気キャスターの活躍といったように、様々な具体例を挙げることができる。こうした出来事の一つ一つが興味深く、その詳細な経緯や今日的な意義をもっと知りたくもなる。冒頭で触れたように気象業務 150 周年という節目は、当時の関係者による回顧や専門家による業務の検証という機運を今後も創り出していくだろう。本コラム執筆時点(2025年2月)では未見だが、今回の記念事業として刊行される『気象百五十年史』も、昭和戦後期から平成期の気象業務の歩みを捉える参照軸の形成に寄与していくに違いない。気象業務150周年をきっかけにして、歴史研究がさらに進展していくことを期待している。







2 気象業務150周年記念事業

 この節目の年を迎えるにあたり、令和6年度(2024年度)から、様々な広報イベントを実施するとともに、令和7年(2025年)6月2日には記念式典を行うほか、150年史の刊行も行います。

 これらの記念事業については、気象庁ホームページに特設サイトを設けて、随時最新の取り組みを掲載しています。

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/info/150th/index.html


(1)国立科学博物館と連携した企画展の開催 ~企画展「地球を測る」~

 国立科学博物館と連携し、令和7年3月25日~6月15日までの期間で企画展「地球を測る」を開催しています。また、期間中は気象庁長官をはじめ、企画展を盛り上げるための気象庁による講演会を同博物館で行っています。

 本企画展では、様々な自然現象を観測する手法やその歴史、これまで蓄積されてきた観測データから、地球環境の様子やその変化が明らかになり、また防災・減災にも大きく貢献していることを紹介しています。

国立科学博物館 企画展「地球を測る」

 具体的には、国立科学博物館の日本館1階中央ホールと企画展示室を利用した大規模な企画展となっています。まず、中央ホールでは、企画展そのもののテーマである「地球を測る」をテーマに、1階から3階までの吹き抜けを使って、地上から上空までの各種観測を高度別にダイナミックに表現した巨大な吊り下げバナーを配置し、これをアイキャッチとして、来館者を企画展に誘因する工夫をしています。中央ホールから企画展示室に入ると、第1章から第4章の構成で動線に沿って楽しめるようになっています。はじめに、第1章「自然現象を測る」では、日本で正式に観測が始まった経緯や、気象庁をはじめどのような機関や施設で観測されてきたのか、各分野(気象、地震、火山、地磁気など)について、観測の始まりや方法の歴史、役割を紹介します。第2章「大気と海を測る」では、様々な気象現象を観測する方法、線状降水帯など近年多く発生する気象災害や、地球温暖化などの気候変動のメカニズムに加え、観測が天気予報や防災にどのように役立っているかについて紹介します。第3章「地球内部を測る」では、地下や海底下で起こる地震や火山噴火、地磁気擾乱など、直接視ることが不可能な現象について、どのようにしてそれらを捉え、測ることができるのかということに焦点をあて、地下の現象を理解するための観測技術やメカニズムに加え、観測が防災にどう役立っているかについて紹介しています。最後に、第4章では「宇宙や空から地球を測る」をテーマとして、人工衛星の登場によって宇宙から地球全体を観測できるようになった現在、150年前では到底捉えることができなかった地球上の様々な現象について、その観測技術とともに解説しています。

 「150年間で何が変わったのか」=「人間が地球を観る視点が変わった(目視→自動化、地上→宇宙)」、「測ることを続けることの重要性」=「最新の気象予測シミュレーションも地震や火山活動の評価も、ずっと続けられてきた観測や蓄積されてきた観測データから成り立っている」ということをキーワードに、150周年を迎えた気象業務の歴史を楽しく学び、感じることができる企画展となっています。

国立科学博物館 企画展「地球を測る」

(2)「みんなに見せて伝える!防災展示アイデアコンクール」の実施

 令和6年7月~9月にかけて実施したこのイベントは、気象業務150周年の関連として、全国小中学生を対象とした防災展示の企画のアイデアを募集するコンクール形式のイベントです。

 「自然災害の仕組み」や「災害から命を守る方法」、「気象庁が行っている観測や予報の仕組み」を学習したうえで、その内容をわかりやすく説明する展示や工作物のアイデアの企画を応募していただきました。

「国土交通大臣賞」、「気象庁長官賞」表彰式の様子

 全国から106点の応募があり、気象庁長官をはじめ、国立科学博物館などの有識者により「国土交通大臣賞」、「気象庁長官賞」、「はれるん賞」、「気象友の会賞」、「日本気象予報士会会長賞」、各気象台における「気象台長賞」を設け、受賞した児童・生徒の皆さんを表彰しました。

 また、国土交通大臣賞をはじめ一部の作品に関しては気象科学館に展示しており、さらに、国土交通大臣賞を受賞したアイデアについては、実際に可搬型の展示として作成し、気象科学館に展示するとともに、今後、全国気象台のイベントなどで活用する計画です。

 令和6年度から150周年を迎える令和7年6月まで、作品の募集、審査、表彰式、作品の展示、作品の製作、今後の活用といった形で、節目のタイミングの約1年間、期間を通じて、全国の児童・生徒と気象庁職員と一緒になって防災について盛り上げ、考えたイベントとなりました。

(3)気象科学館の新規展示の製作と公開

 令和6年度での「はれるん」誕生20周年や気象業務150周年を迎えるにあたり、気象科学館に「はれるんランド」と「大雨災害サバイバル」の2つの展示装置を新設しました。

「はれるんランド」と「大雨災害サバイバル」

 「はれるんランド」は、仮想空間での住民への情報伝達に関する防災訓練をイメージしたシューティングゲームです。このゲームのプレイヤーは、気象庁役の「はれるん」として訓練に参加し、様々な自然災害に襲われる住民の方にシューティングゲーム形式で情報を届けます。訓練の登場人物は、気象庁役の「はれるん」の他、情報を受け取る「住民」と、災害が来たことを示す各種の「災害キャラ」で構成されます。「住民」は、目下の災害に対応するための適切な情報が「はれるん」から届けられればニコニコ(笑顔)になり、対処方法をひらめき、避難などの行動に結び付けます。「災害キャラ」たちは、訓練の状況付与として、災害が来たことを住民に知らしめる役として出現します。災害キャラたちは元々が災害ですので、意図せず、災害発生の状況付与を行うのみならず、住民を怖がらせたり、「はれるん」の邪魔をしてしまったりします。

 このゲームは、災害に応じた適切な情報を住民に届けなければ、住民は適切な判断ができない仕組みになっていますので、プレイヤーはシューティングゲームという中で、瞬時に災害を見分けて、それに適合する防災情報を選択し、届けるということを行わなくてはなりません。子供達が、ゲームであれば難しい設定や必殺技の特性などを難なく理解することを利用して、気象庁が発表する命を守る防災情報を理解していただこうというものです。

 「大雨災害サバイバル」は、線状降水帯をテーマとした展示装置です。線状降水帯のメカニズムや大雨災害について理解を深め、自発的な防災行動に役立ててもらうことを目的として製作しました。プレイヤーは架空の街の住民として、場面に応じて気象情報等を活用して洪水や土砂崩れなどの大雨災害から身を守る体験ができます。

(4)記念切手の発行や気象業務の漫画百科事典の刊行

 日本郵便と連携し、令和7年5月28日に気象業務150周年記念切手の発行を行いました。新旧の対比と各種気象業務を切手の図柄に採用した少しマニアックな気象庁らしい記念切手となりました。

記念切手

(5)気象庁マスコットキャラクターの活動強化

 20年間にわたり、気象庁では「はれるん」を用いて広報活動を行い、これまで気象庁の象徴的な存在として、各種の広報事業で活躍しその役割を果たしてきました。21年目からは、心新たに気象業務の重要な使命である「命を守る情報の伝達」と「使命を果たすための技術力発展の推進」をイメージさせるマスコットキャラクターとして、この20年以上に活動の場を広げ、気象業務の周知広報に活用していく計画です。また、もともと鹿児島地方気象台のマスコットキャラクターであった「ぼるけん」については、活動火山対策特別措置法の改正を受けて8月26日の「火山防災の日」が制定されたことに伴い、令和6年度より、気象庁における火山防災の普及啓発を担う「気象庁火山防災マスコットキャラクター」としても活動することとなりました。キャラクターを用いた広報活動は、子どもや子どもを中心としたご家族など、普段防災業務に縁遠いことの多い層に直接アプローチする極めて重要な広報手段となっています。今後さらにキャラクターの活動を様々に盛り上げる演出を強化し、気象庁のキャラクターを見ると、気象庁が行っている様々な防災業務を想起させることができるようにし、さらなるキャラクター広報戦略の強化・推進を行っていく計画です。

「はれるん」と「ぼるけん」

3 広報・普及啓発の取組

 普及啓発の取組については、より多くの人に関心を持っていただくため、様々なイベントを実施しています。

(1)夏休みこども見学デー

 各地の気象台では、防災気象情報の正しい理解と利用を目的として、毎年夏休みの時期に「お天気フェア」を開催しています。ここ数年は、YouTube等を活用したオンライン方式で開催していましたが、令和6年は多くの気象台で実地開催し、一部プログラムではコロナ禍での経験を活かしてオンラインも併用しました。

○イベント目白押しだった「夏休みこども見学デー」

 気象庁本庁では、毎年8月に「夏休みこども見学デー」を開催しています。令和6年(2024年)は2日間で1,368名の方にご来場いただきました。会場では、気象や地震等に関連する実験や工作するブース、イベント会場各所を巡るスタンプラリーのほか、天気予報や地震・火山の情報を発表する各オペレーションルームをめぐる見学ツアー、地方気象台の職員とオンラインで会話できる中継イベント等を実施しました。またはれるんとのコラボイベントとして「熊本県営業部長」兼「熊本県しあわせ部長」であり「復興応援“絆”大使」でもあるくまモンとのステージイベントや、東京消防庁のキュータとのグリーティングも行いました。来場者アンケートでは、9割以上の方が「とても楽しかった」「楽しかった」と回答いただき、大盛況のうちに終えることができました。

「夏休みこども見学デー」の様子

(2)はれるんカード

 令和4年(2022年)6月より、気象庁の施設を訪れた方が入手できる「はれるんカード」を開始しました。このカードは、施設に掲示されているQRコードから、スマートフォン等を用いてダウンロードできるデジタルカード(画像データ)で、施設の紹介や豆知識を記載しています。

はれるんカードの遊び方

 特に、令和7年(2025年)は気象業務150周年のため、150周年版の特別なカードも用意しています。

 詳細な情報は以下URLからご覧ください。

 https://www.e-watcherstomo.com/はれるんカード/


(3)ポスターコンクール

 気象庁では、本庁庁舎の港区への移転を契機に、港区教育委員会・気象友の会と共催し、令和3年(2021年)よりポスターコンクールを実施しています。ポスター作成をきっかけとして防災について家族で話し合っていただくこと等を目的とし、港区立の小中学生を対象として作品を募集しています。令和6年度は、8月26日が「火山防災の日」に制定されたことから、「火山防災の日(火山から身を守る)」をテーマにポスターを募集し、約90作品の応募がありました。共催の三者で4賞ずつ計12賞、これに加えて、優秀な作品を入選とし、ポスターの選定を行いました。令和6年度の受賞作品は以下のとおりです。

令和6年度 ポスターコンクール 気象庁入賞作品

 令和6年度は「火山について認識を深める」をテーマに、宮城県でも県内の小中学生を対象にポスターを募集しました。受賞作品は以下のとおりです。

令和6年度 ポスターコンクール 仙台管区気象台入賞作品
Adobe Reader

このサイトには、Adobe社Adobe Readerが必要なページがあります。
お持ちでない方は左のアイコンよりダウンロードをお願いいたします。

このページのトップへ