南極・昭和基地の紹介
南極昭和基地の場所
南極昭和基地は日本から直線距離で約14,000km離れたリュツォ・ホルム湾東岸、南極大陸氷縁から西に4kmの東オングル島に位置し、日本との時差は-6時間です。 海は1年を通して海氷に覆われており、海氷の薄い夏を除いては大陸へ雪上車で上陸することが可能です。 観測隊は通常オーストラリアまで飛行機で行き、西オーストラリア州のフリーマントルで南極観測船しらせ(2代目)に乗り込みます。 12月上旬にフリーマントルを出発したしらせは、夏期間に行う設営作業の準備、安全講習、海洋観測などを行いながら昭和基地に向かい、12月下旬ごろに到着します。 南極の短い夏が終わる2月上旬にしらせは越冬隊員を残して昭和基地を離れ、往路と同様に海洋観測等を行い、観測隊は3月下旬にオーストラリアで下船し飛行機で帰国します。(注)2020年出発の第62次隊は、新型コロナウィルス感染症対策のため、通常と異なる行動となります。
基地での気象観測
基本観測棟
基本観測棟(第61次南極地域観測隊員撮影 提供:国立極地研究所)
昭和基地での気象観測は、1973年2月(第14次隊)に完成した気象棟で行われてきましたが、 2019年12月(第60次隊)から基本観測棟で行うようになり、気象棟は2020年1月に解体されました。 基本観測棟の近くにはラジオゾンデを飛揚するための放球デッキがあり、 ブリザードと呼ぶ猛ふぶきの時でも、安全上問題がない範囲で高層気象観測は実施しています。
気象隊員の仕事
基本観測棟内の気象観測室(第61次南極地域観測隊員撮影)
気象隊員は基本観測棟で24時間体制で勤務し、様々な観測やデータ処理を行っています。 昭和基地周辺で取得している様々な観測データを基本観測棟で監視するとともに、目視で天気や視程を観測しています。 あわせて、天気図や集めた観測値を解析して、観測隊の活動に必要な気象情報を随時提供しています。
機器のメンテナンス
測風塔での風向風速計のメンテナンス(第61次南極地域観測隊員撮影)
南極では何かあっても人を呼んだり、物を補給することができません。 観測測器の保守、点検、障害対応も、すべて自分たちで行う必要があります。 このために、南極に出発するまでの数か月間は、物資の調達や様々な研修を実施しています。
昭和基地以外の基地
日本の基地(国立極地研究所 南極観測HPより)
日本は現在まで、昭和基地、みずほ基地(閉鎖中)、あすか基地(閉鎖中)、ドームふじ基地と、4か所に基地を建設しています。
昭和基地以外の基地でも、過去に有人での気象観測を行っていました。最も内陸のドームふじ基地では、1996年と1997年に-79.7℃という最低気温を観測しました。
昭和基地での生活
基本観測棟から写した昭和基地主要部(第61次南極地域観測隊員撮影)
気象隊員も、仕事以外は通路でつながった基地中心部で生活しています。基地中心部には個人の居室や食堂、風呂、図書室などの設備が整っています。
個人の居室
第52次南極地域観測隊員撮影(提供:国立極地研究所)
越冬隊員にはそれぞれ4畳半の広さの個室が貸与されます。
食事風景
第53次南極地域観測隊員撮影(提供:国立極地研究所)
食事中の53次気象隊員。2人の調理担当隊員が交代で食事を作ります。 食材はほとんどが冷凍や乾物ですが、越冬初期は持ち込んだ生野菜を使った食事も提供されます。 また、後でも述べるように、少量ではありますが水耕栽培でキュウリなども栽培しています。 この写真は朝昼兼用のブランチをとっているところです。
昭和基地の風呂
第52次南極地域観測隊員撮影(提供:国立極地研究所)
昭和基地のお風呂です。お湯は循環式で発電機の熱を利用して温めており、節水、省エネです。
野菜の栽培
第52次南極地域観測隊員撮影(提供:国立極地研究所)
人工光源で野菜を栽培しています。昭和基地への物資は、「しらせ」による年1回の輸送で持ち込まれるだけなので生野菜はすぐに尽きてしまいます。そのため、基地内で様々な野菜を育てています。 キュウリなどは最高の御馳走となります。
派遣された気象隊員は、1年以上にわたり昭和基地で生活します。昭和基地では様々な設備が整えられており、 インターネットも使えるなど室内では国内と殆ど同様の生活を送ることができます。 しかし、一旦屋外に出ると低温と強風の厳しい世界であり、外出の際は必ず無線機を携帯しなければなりません。