特集

特集Ⅰ 新たな予測技術で豪雨・台風被害を減らす

1 はじめに

 近年、「平成26年8月豪雨」や「平成29年7月九州北部豪雨」のように、 雨の降り方は実感を伴って局地化・集中化・激甚化の様相を示しつつあります。これらの自然環境や社会環境の変化、先端技術の展望を踏まえ、平成30年(2018年)8月に国土交通省交通政策審議会気象分科会において、「2030年の科学技術を見据えた気象業務のあり方」が示されました。

 本提言では、観測・予測精度向上にかかる技術開発が重点的な取組事項の一つに位置づけられ、これまでの気象庁内での着実な技術開発に加え、大学等研究機関が有する最新の研究成果や知見の取り入れ、民間事業者等が行う多様な観測データの活用、IoTや人工知能(AI)技術といった最先端技術も活用した技術開発の推進が求められています。本提言を受けて、気象庁では平成30年(2018年)10月に策定した「2030年に向けた数値予報技術開発重点計画」において、数値予報の高度化・精度向上について、現在の技術水準に照らして野心的とも言える目標を掲げ、技術開発に取り組んでいます。

 こうした中、令和2年7月豪雨において、線状降水帯(2(2)参照)の予測に関する課題が浮き彫りとなったことを受け、気象庁では線状降水帯の予測精度向上を最優先課題と位置づけ、取組を加速していくこととしました。

線状降水帯の予測精度向上に向けた取組

 ここでは、令和2年7月豪雨を受けての課題とその対応策や台風被害に備えた最新の技術に加え、令和12年 (2030年) に向けた技術開発の進展について、中長期の展望も含め紹介します。

2 令和2年7月豪雨を受けて~新たな技術課題とその対応策~

(1)令和2年7月豪雨

 7月3日から7月31日にかけて、日本付近に停滞した前線の影響で、暖かく湿った空気が継続して流れ込み、各地で大雨となり、人的被害や物的被害が発生しました。

 7月3日から31日までの総降水量は、長野県や高知県の多い所で2,000ミリを超えたところがあり、九州南部地方、九州北部地方、東海地方及び東北地方の多くの地点で、24、48及び72時間降水量が観測史上1位の値を超えました。また、旬ごとの値として、7月上旬に全国のアメダス地点で観測した降水量の総和及び1時間降水量50ミリ以上の発生回数が、共に1982年以降で最多となりました。

線状降水帯の予測精度向上に向けた取組

 この大雨により、球磨川や筑後川、飛騨川、江の川、最上川といった大河川での氾濫が相次いだほか、土砂災害、低地の浸水等により、死者・行方不明者が86名、住家被害は約17,000棟に達するなど、人的被害や物的被害が多く発生しました(被害に関する情報は令和3年1月7日内閣府とりまとめ等による。)。

 気象庁は、顕著な災害をもたらしたこの一連の大雨について、災害の経験や教訓を後世に伝承することなどを目的として「令和2年7月豪雨」と名称を定めました。

(2)7月3日から4日にかけての熊本県や鹿児島県を中心とした大雨

 7月3日から4日にかけて、九州付近に停滞していた前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、熊本県や鹿児島県を中心に大雨となりました。3日から4日までの総降水量は熊本県水俣市の水俣で513.0ミリ、熊本県湯前町の湯前横谷で497.0ミリに達しました。この大雨により球磨川が氾濫したほか、芦北町で土砂災害が発生しました。

令和2年7月豪雨による被害

 この時、大量の水蒸気が九州の南西海上から流入しており、線状の強い降雨域が九州の西方海上から球磨川流域にかけて停滞していました。このような線状の強い降雨域が停滞したものを「線状降水帯」と言います。球磨川流域に記録的な大雨をもたらした線状降水帯は東西約280キロメートルとこれまでで最大規模で、継続時間が13時間と長いのが特徴でした。線状降水帯は、南西~北東方向にのびる積乱雲群が東西に複数連なることで構成されていました。そしてこれらの積乱雲群は、風上(南西側)で次々と発生した積乱雲が組織化したもの(バックビルディング型の形成過程)であることがレーダーによる解析から分かりました。

球磨川流域に記録的な大雨をもたらした線状降水帯の構造

 線状降水帯は、次々と発生した積乱雲により、線状の降水域が数時間にわたってほぼ同じ場所に停滞することで、大雨となり、甚大な被害をもたらします。過去には、平成26年8月豪雨での広島市の土石流、平成29年7月九州北部豪雨での土石流や河川の氾濫などの事例でも、線状降水帯が発生していました。

(3)発表した防災気象情報とその課題

 熊本地方気象台では、7月2日から気象情報を発表し大雨への警戒を呼びかけていました。その後、危険度の高まりに応じて早期注意情報、大雨注意報・警報、土砂災害警戒情報など段階的に防災気象情報を発表するとともに、指定河川洪水予報では球磨川に氾濫危険情報を発表するなど、厳重な警戒を呼びかけました。また、ホットライン等により気象台から直接市町村長等に危機感を伝えました。この記録的な大雨に対し、4日4時50分に熊本県、鹿児島県に大雨特別警報を発表し、最大級の警戒を呼びかけました。

 一方で、前日の夕方の気象情報において、線状降水帯が発生し特別警報級の大雨となることについては、伝えることができませんでした。線状降水帯を構成する個々の積乱雲はスケールが小さいため、現在の数値予報モデルの技術では、線状降水帯がいつどこで発生しどのくらいの期間継続するのか、事前に正確に予測することができません。また、線状降水帯の発達には、下層から流入する水蒸気が重要ですが、特に海上は観測点が少なく、どのくらいの水蒸気が入ってくるかを、正確に観測することが難しいのが現状です。

「令和2年7月豪雨」における熊本地方気象台による警戒の呼びかけ

 線状降水帯を正確に予測することは難しいものの、発生の可能性が出てきた段階でいかに危機感を伝え、防災対応につなげていくかが大きな課題となりました。


コラム 新型レーダーで雨の情報が改善されました

 令和2年(2020年)3月、千葉県柏市にある気象庁の東京レーダーを、新型のレーダー(二重偏波気象ドップラーレーダー)に更新しました。従来のレーダーでは、水平方向に振動する電波(水平偏波)だけを発射し、雨粒等からの反射波を受信して雨の強さを推定していましたが、新型レーダーでは、垂直方向に振動する電波(垂直偏波)も同時に発射・受信することができます。これにより、雨雲とノイズ(山などからの反射波)を区別する能力や雨の強さを正確に捉える能力が大幅に改善されました。下図は、新型レーダーによる観測結果で、値が大きいほど雨が強いことを示します。左図(a)は観測したままのデータ、右図(b)は(a)に対しノイズ除去と雨による電波の減衰の影響を補正したデータです。(b)では、山などのノイズが除去されているとともに、補正によって図中左下の降水域においてより強い雨が捉えられていることが分かります。


コラム アメダスが新しくなりました

 アメダスでは、15年ぶりのアメダス気象計の更新を令和2年(2020年)から開始し、これに合わせ、観測種目等の変更をおこないました。令和3年(2021年)3月から、新たに湿度の観測を開始し、今後、アメダスでは、降水量、気温、湿度、風向・風速及び積雪の深さを観測していきます。新しく開始した湿度観測により水蒸気監視能力が強化され、近年、大きな気象災害をもたらしている線状降水帯の予測に資することが期待されています。また、新しいアメダスでは、風向・風速の測器の方式を駆動部のある風車式から駆動部の無い超音波式に変更しました。これにより凍結、故障による欠測の減少が見込まれ、より安定した観測データの提供を期待されています。さらに、測器から得る観測値以外をアメダスの提供データに加える取組も行っています。日照時間を日照計の観測値から気象衛星観測の成果である推計気象分布の日照時間から得る推計値に置き換えたものが、それに当たります。湿度の観測開始も、日照時間の推計値への置き換えも、測器や気象技術の進歩により、なし得ています。今後も技術の発展とともにアメダスは進化を続けていきます。

アメダスでの湿度観測状況

(4)豪雨災害の予測精度向上に向けて

 気象庁では、令和12年(2030年)を目標として、線状降水帯の発生・停滞の予測精度向上により、集中豪雨の可能性を高い確度で予測し、明るいうちからの避難など、早期の警戒と避難を可能にすることを目標に技術開発を進めてきたところです。

 令和2年7月豪雨を踏まえ、上記目標に向けた取組の方向性を改めて下記①~③のとおり整理するとともに、①及び②の予測精度向上につながる取組を加速させ、予測技術の精度を踏まえた情報をできるところから段階的に提供していくこととしました。

 ① 大気の状態を正確に把握するための観測の強化

 ② スーパーコンピュータを活用した予測技術の高度化

 ③ 避難行動に結び付くような防災気象情報の改善

ここでは、上記3つの方針に沿った主要な取組について紹介します。

① 観測の強化

 線状降水帯の予測精度向上に向けては、線状降水帯の発生に結び付く大気の状態、特に水蒸気の流入量を面的かつ時間的に連続して捉えることが重要となります。しかし現状、海上における水蒸気観測は陸上に比べて圧倒的に少なく、また、気象衛星でも雲より下の水蒸気量(湿度)を捉えることは困難です。陸上においても、気象台や測候所などの一部の地点では水蒸気量(湿度)の観測を行っていますが、多くのアメダス観測地点では観測は行っていません。そこで、海上及び陸上の水蒸気量(湿度)を把握するため、海上保安庁と連携した洋上観測の拡充(コラム「線状降水帯の予測精度向上をめざして」参照)と、アメダスへの湿度計導入を進める予定です。これに加え、線状降水帯発生等の実況監視能力を強化するため、最新の二重偏波レーダーへの更新を進めることとしています。

② 予測の改善(4(1)「豪雨防災への取組」参照

 線状降水帯のメカニズムが十分解明されていないことに加え、現在の数値予報モデルは線状降水帯が再現できるほどの解像度を有していないことから、大学・研究機関との連携を強化しつつ、線状降水帯の構造や発生、持続を表現できるように数値予報モデルの性能を高めるための技術開発を推進する予定です。この技術開発と並行して、予測の不確実性を踏まえ、その不確実性を捕捉可能なアンサンブル予報システムの開発や利用を進めます。

③ 情報の改善

 観測・予測改善の成果を踏まえ、情報の改善もできるところから段階的に実施していく予定です。具体的には、過去に顕著な災害をもたらした事象を基に設定した降水形状や降水量、危険度等の条件を実況で満たし、実際に線状降水帯が形成されて顕著な災害をもたらすおそれが高まってきた場合に、その様な危機感の高まりをお知らせする気象情報を本年出水期より提供する予定です。加えて、令和4年(2022年)には半日前から線状降水帯等による大雨となる可能性の情報を提供し、令和7年(2025年)までには府県単位で大雨予測できるよう精度を向上、そして令和12年(2030年)までに半日前から線状降水帯に伴う集中豪雨を高い確率で予測し、これに伴う災害発生の危険度を面的に提供できるよう取組を進めていきます。


コラム 線状降水帯の予測精度向上をめざして ~海上保安庁と連携したGNSS観測~

 大きな被害がもたらされた令和2年7月豪雨では、洋上からの水蒸気が継続的に補給されて被災地周辺に線状降水帯を形成することにより集中的かつ持続的な豪雨となったことが要因と考えられます。このような災害への対応には、大気中の水蒸気量の把握と線状降水帯の予測精度の向上によって、早期に防災行動を図る必要があります。

 このため、気象庁では洋上における水蒸気量を把握するためにGPS等の全球測位衛星システム(GNSS)を用いた観測装置を船舶に搭載して、令和2年7月豪雨等でその要因となった梅雨末期の線状降水帯の予測に必要な水蒸気の観測を実施します。

 GNSSを用いた観測装置では、測位衛星の送信電波が大気中の水蒸気によって遅れる性質を利用して洋上大気中の水蒸気量を観測します。

 令和3年には、気象庁の海洋気象観測船と海上保安庁の測量船に同観測装置を設置し、線状降水帯への水蒸気の供給源となる東シナ海などの海域において観測を実施する予定です。

線状降水帯の上流の洋上で水蒸気量を把握するための観測(イメージ)

3 台風等に備える新たな気象技術

(1)台風に発達する熱帯低気圧の予報を5日先まで延長

 平成30年(2018年)6月に更新したスーパーコンピュータシステムによる計算能力の向上や数値予報技術の改善により、台風になる前の熱帯低気圧の段階でもその後の進路や強度の予測精度が向上したことから、令和2年(2020年)9月9日から24時間以内に台風に発達する見込みの熱帯低気圧について、従来の1日先までの予報を5日先までの予報に延長しました。これにより、日本にかなり近づいてから台風に発達し、急に影響を及ぼすような場合でも、台風接近時の防災行動計画(タイムライン)に沿った防災関係機関等の対応を、これまでよりも早い段階から効果的に支援することが可能となりました。

台風になる前の熱帯低気圧から5日先までの予報を提供

 また従来、台風においてのみ発表していた暴風域に入る確率について、令和3年台風シーズンから24時間以内に台風に発達する見込みの熱帯低気圧においても発表するよう、運用を変更します。これにより、より早い段階から暴風域に入る可能性のある時間帯を把握できるようになります。

(2)高潮及び潮位に関する情報の改善

 平成30年台風第21号、令和元年房総半島台風、令和元年東日本台風など、近年、台風による高潮被害が相次いで発生しています。令和元年度の有識者等による「防災気象情報の伝え方に関する検討会」で、高潮に対して市町村の早めの防災対応や住民自らの避難判断ができるよう、防災情報の充実を早急に図るべきとの指摘があり、令和2年度に高潮及び潮位に関する情報の改善を実施しました。

〇 「高潮の警報級の可能性」をバーチャート形式の気象情報で5日先まで提供

「高潮の警報級の可能性」を5日先まで延長

 日本付近に警報級の災害をもたらすおそれがある台風の接近・通過が予想される場合には、より早い段階で高潮に対する備えを始める必要があります。これに活用していただくため、令和2年8月から台風の接近が予想される場合の「高潮の警報級の可能性」について、期間を明後日までから5日先までに延長し、図形式の気象情報等を通じて提供することを開始しました。


〇 過去の最高潮位の提供

 令和2年9月から、気象庁の潮位観測所における過去の最高潮位(高い方から1位~10位の値)の提供を開始しました。これを利用することで、予想される高潮が過去の顕著な高潮に匹敵する規模になるかどうかをあらかじめ確認できるようになります。

〇 潮位観測情報の改善

 平成30年台風第21号では、台風の移動が速かったことから、潮位が短時間で急激に変化して高潮災害が発生しました。このような急激な潮位の変動を迅速に把握するため、気象庁では高潮の監視に波浪による数分の変動のみを取り除いた潮位データを使用しています。令和3年(2021年)3月からこの潮位データについて、気象庁ホームページ「潮位観測情報」での提供を開始しました。

4 2030年に向けた技術開発の進展

 ここでは、平成30年(2018年)10月に策定した「2030年に向けた数値予報技術開発重点計画」に沿った、予測技術開発の中長期的な取組と新しい技術・データ活用の取組について紹介します。

(1)豪雨防災への取組

 令和12年(2030年)の目標である線状降水帯の発生・停滞の予測精度向上により、集中豪雨の可能性を高い確度で予測し、明るいうちからの避難など、早期の警戒と避難を可能にするための技術開発を進めています。豪雨をもたらす線状降水帯をより的確に予測するためには、線状降水帯が発生する大気の状態を数値予報モデル(第2部1章1節参照)で精度良く表現すること、線状降水帯の構造や発生・停滞を予測できるように数値予報モデルの性能を高めることが必要です。

 大気状態を精度よく表現するため、数値予報モデルの改良により、鉛直方向の風向・風速の差や水蒸気の流入量など、特に豪雨と関連が強いことが知られている気象要素について予測精度を向上させるとともに、風上の海上における水蒸気量や風などの観測データを活用するための開発を行っています。

 線状降水帯の構造や発生・停滞の予測に向けては、線状降水帯を構成する個々の積乱雲の振る舞いを予測できるよう、高解像度の予報モデル及びそれに適した大気、海洋、陸地における様々な過程の開発を進めています。

 線状降水帯は予測の不確実性が高く、半日程度先の短い予測時間においても予測が非常に難しい現象です。このため、上記の数値予報技術の改善に加え、予測の不確実性を捕捉可能なアンサンブル予報(第2部1章2節(4)参照)と最新のAI技術を併用することで、より高精度の確率プロダクトの作成に取り組んでいます。

(2)台風防災への取組

 令和12年(2030年)を目標として、台風や前線による災害発生の3日前から、河川流域の雨量、高潮などの見通しを把握して的確な広域避難を可能にするためには、雨量分布や高潮などについて詳細で高精度な予測情報が必要です。本目標の達成に向けては、地球全体を取り扱う全球モデル、メソモデル及び高潮モデル等(第2部1章2節参照)を一体的に開発する必要があります。

 まず、全球モデルの開発については、より詳細な予測値をメソモデルへ引き継ぐために水平格子間隔を10キロメートルよりも高解像度化するとともに、全球モデルによる台風の進路や内部構造の予測を改善するため、乱流、積雲対流、雲などに関する数値計算を高精度化する計画です。加えて、人工衛星や気象レーダー観測等によって得られる気温、水蒸気、風、降水粒子に関する高密度かつ高頻度な観測データを分布状態やその精度に応じて適切に利用できる手法をデータ同化システムに導入します。また、数値計算や観測データの品質管理などでは最新のAI技術を活用する予定です。

 これらにより、予測領域の境界を通して全球モデルから詳細な予測値をメソモデルへ引き継ぐことができるようにしつつ、メソモデル、メソアンサンブル予報システム及び高潮モデルについても3日先までの予測を可能にし、台風に伴う大雨や高潮などをより高い精度で予測できるよう開発を進めています。

(3)社会経済活動への貢献

 気象庁は、社会的に影響の大きな熱波や寒波等の気象現象を数日先から数か月先まで高精度に予測することで、熱中症、雪害等に対する可能な限り早期の事前対策や物流、農業、水産業等の各産業における気候によるリスクの軽減及び生産性向上に貢献することを目指します。加えて、第4次産業革命の進展に応じて高精度な数値予報の気象ビッグデータを提供することで、国民一人一人の生活に沿った情報の入手・活用や、上述の分野等の産業界における意思決定や業務プロセスの改善に資するなど多様化するユーザーニーズに対応し、 超スマート社会に貢献します。

 このために、あらゆる気象情報の基盤となる、大気、海洋、陸面・雪氷、大気微量成分などの地球システムを構成する個々の数値予報モデルの改善を引き続き行います。さらに、これら個々の数値予報モデルを総合的に扱うことができる「地球システムモデル」の開発や人工知能等の技術の活用によって、予測精度のより一層の向上を目指します。

社会経済活動への貢献

(4)新しい技術・データ活用の取組

① 統合型ガイダンスの開発

 令和12年(2030年)に気象予測の精度を大きく向上させることを目指し、全球モデル、メソモデル、局地モデル等の解像度や予報時間(10時間~5日)が異なる複数の数値予報の結果について、各モデルの精度や特性を踏まえて、AI技術を活用し最適に組み合わせる「統合型ガイダンス」の開発を行っています。

 「統合型ガイダンス」により、高精度な降水量、風、気温等の予測情報の提供が可能となることに加え、予測が困難な大雨等の顕著現象についても、誤差の幅やある値を超える確率の情報の提供が可能となることから、集中豪雨等に対し数日前から災害への心構えを高め、早めの防災行動を支援することにつながります。

 本技術開発は、国立研究開発法人理化学研究所革新知能統合研究センター(理研AIP)との共同研究として、平成31年(2019年)1月から取り組んでいます。

AI技術の活用による「統合型ガイダンス」の開発

② 民間事業者の観測データの有効活用に向けた取組

 気象庁では、自らが実施する基盤的な気象観測のデータに加えて、地方自治体や政府機関が実施する気象観測のデータを収集し、監視・予測に係る気象情報を作成してきました。度重なる風水害を予防・軽減するため、更なる監視・予測精度の向上を目指して、民間事業者により行われている気象観測のデータについても気象庁における気象情報の作成等に活用する検討を進めています。

 民間事業者においては、それぞれの目的に応じて様々な状況で気象観測が行われています。このデータを気象情報の作成等にも有効に活用するためにはデータの品質や観測環境の様子の確認が必要であり、このための調査を進めています。調査結果を基に、民間事業者の気象観測データを解析雨量や推計気象分布等の気象情報に試験的に取り込んで効果を検証していきます。

民間事業者の観測データの有効活用

特集Ⅱ 産学官で歩む新たな気象業務

1 これまでの産学官による気象業務

 気象業務は、気象庁のみならず、民間気象事業者や関係する分野の大学・研究機関等、様々な主体によって営まれており、それぞれが役割を果たすことにより発展してきました。

(1)気象庁の役割と民間気象事業の発展

 社会の高度情報化に適合した気象サービスを実現するための指針として、平成4年(1992年)の気象審議会(当時)答申第18号では、気象庁は、国民の生命と財産を守る観点から、警報をはじめとする防災気象情報の発表に注力するとともに、気象庁が業務のために収集・作成した資料やデータ(観測データや数値予報等)について、民間気象事業を支援する観点から提供していくこととされました。また、民間気象事業者においては、各種情報メディアに適合した多様なニーズに応える付加価値のついた様々な気象サービスを提供していくこととされました。

 この答申を踏まえ、気象庁では、平成7年(1995年)、気象庁以外の者が行う一般向けの気象・波浪の予報についての業務許可を開始し、以後、技術の進展に伴い、地震動・火山現象、津波、高潮といった現象についても、順次許可の対象としてきました。民間気象事業者等の創意工夫の結果として、社会に提供される気象サービスは、質・量とも各段に充実してきています。

(2)大学・研究機関との連携

 気象庁気象研究所をはじめ、様々な大学・研究機関において、気象学に関連する研究開発が進められており、各機関が実施している研究に気象庁が持つ豊富なデータや日々の業務で培われた様々な技術を組み合わせることで、より具体的で大きな研究成果が期待されます。このため、気象庁と公益社団法人日本気象学会は、平成19年(2007年)に包括的な共同研究契約を締結し、以来、気象研究コンソーシアムを運営しており、気象庁が収集・作成したデータを基盤とした様々な共同研究や最新の研究に関する情報の交換等が行われています。

2 産学官連携による気象業務

 このように、従前、気象業務を営む産官学が連携した様々な取組が行われており、近年は、産学官がそれぞれの強みを活かして更に連携することで、より効率的・効果的に新たな価値を創出しようとする動きが始まっています。

(1)気象観測・予測へのAI技術の活用

 気象庁と国立研究開発法人理化学研究所革新知能統合研究センターでは、気象観測・予測の精度を大きく向上させることを目指し、気象庁が有する気象現象の観測・予測に係る技術や知見と、理化学研究所が有する人工知能(AI)技術に関する技術や知見を相互に持ち寄り、気象観測・予測技術に最先端のAI技術を導入すべく研究開発を実施しています。

 これらの研究開発のうち、気象観測技術については、観測データの品質管理手法や面的なデータとする際の推定手法にAI技術を活用することで、高精度な気温等の面的情報を開発し、各種気象情報の高度化を目指しており、気象予測技術については、様々な気象予測データを最適に組み合わせることで、より高精度・高解像度な予測情報の提供等を目指して取り組んでいます。

(2)緊急地震速報、津波警報等の改善

海底地震計データの活用

 地震分野では、平成7年(1995年)の兵庫県南部地震以降、大学・研究機関と連携した取組が進められており、観測データの一元化や地震情報等への活用が進展しています。

 加えて、海域で発生する地震及びそれに伴う津波を的確に捉え、緊急地震速報、津波警報等の情報を迅速に発表していくことも重要です。このため、国立研究開発法人防災科学技術研究所が運用している「地震・津波観測監視システム(DONET)」及び「日本海溝海底地震津波観測網(S-net)」の海底地震計データについて、令和元年(2019年)6月27日より緊急地震速報へ活用しています。これにより、紀伊半島沖から室戸岬沖で発生する地震については最大10秒程度、日本海溝付近で発生する地震については最大30秒程度早く発表できるようになりました。また、津波の早期検知による一層的確な津波警報等の発表が可能となります。


(3)事業者と連携した「キキクル(危険度分布)」通知サービス

 内閣府の「避難勧告等に関するガイドライン」や中央防災会議の「平成30年7月豪雨を踏まえた水害・土砂災害からの避難のあり方について(報告)」では、住民は「自らの命は自らが守る」意識を持ち、自らの判断で避難行動をとるとの方針が示されるとともに、「住民が自ら行動をとる際の判断に参考となる情報」の発信にあたっては、発信した情報の参考となる警戒レベルが分かるようにすべきとされました。

 これを受けて、気象庁では令和元年7月より、土砂災害や洪水等からの自主的な避難の判断に役立てていただくために、土砂災害や洪水等の危険度が高まったときにメールやスマホアプリでお知らせするプッシュ型の通知サービスを民間事業者と連携して実施しています。このサービスにより、キキクルを自主的な避難の判断や離れた場所に暮らしている家族に避難を呼びかけることに活用いただくことが可能となりました。

(4)産業界における気象データ・サービスの利活用促進

 平成29年(2017年)には、産業界と気象サービスのマッチングや気象データの高度利用を進める上での課題解決を行うため、産学官連携の気象ビジネス推進コンソーシアム(WXBC)が設立されました。気象庁では、WXBCと連携して、気象データを活用したビジネスを普及するためのセミナー等を開催するとともに、気象データとビジネスに関連したデータを組み合わせて分析する能力を持つ「気象データアナリスト」の育成に取り組むなど、産業界における気象データの利活用促進に関する取組を進めています(詳細は第2部4章参照)。

3 気象業務の広がりと社会環境の変化

 これまで述べてきたとおり、気象業務に関係する産学官は、それぞれが目的をもって取組を進めることにより多様な気象サービスを創出し、社会に貢献してきました。また、官民が連携して気象情報・データの利活用に取り組むなど、更なる発展を目指した活動にも取り組んでいます。

 一方で、近年のAI、ICT(情報通信技術)等の技術の進展により、「産」の分野では、民間気象事業者に加え、気象情報・データをビッグデータの一つとして活用して多様な活動を行う民間事業者が生まれ、「学」の分野では、AI等の技術や気象・気候の影響を強く受ける農学等の分野における気象に関する研究開発が活発になっています。また、国や地方自治体においても、防災、地球温暖化、農業等の天候に影響を受ける分野をはじめ、気象業務に関係する機関も増加しつつあります。

 ここで、社会環境に目を向けると、ICTの急速な進展による本格的なデータ活用社会の到来や災害の頻発・激甚化、さらには気象情報・データの利用の裾野の拡大等を背景に、気象業務へのニーズは増大・多様化しており、気象庁は防災気象情報の高度化に注力する必要があることから、多様なサービスを創出する民間事業者の役割はますます増大しています。

 増大・多様化するニーズに産学官全体で効率的・効果的に対応すべく、より一層連携して取組を進めていくことが必要となってきています。

4 交通政策審議会気象分科会提言「気象業務における産学官連携の推進」

提言の手交

 前述の状況を踏まえ、交通政策審議会気象分科会では、気象業務における産学官が連携して気象業務全体で社会に貢献していくために、どのような取組を進めていくべきか等について計4回にわたって審議を行い、その成果を令和2年12月23日に提言「気象業務における産学官連携の推進」として取りまとめました。

 本提言では、気象業務やそれを取り巻く社会環境の変化を概観し、関係者が広がりつつある気象業務において産学官が技術やノウハウ、人材、資金等の貴重なリソースの最適化を実現できる関係性を構築すべきであること、気象庁が気象業務全体を俯瞰し、その調整役としての機能を担うべきとしています。そして、産学官による気象業務の取組にプラスの相乗効果をもたらし、リソースの効率的な活用を可能とするため、気象庁は以下に示す産学官連携を推進するための取組を進めていくべきであるとしています。


気象分科会における審議の様子

(1)産学官の対話の場の構築 ~役割分担から連携の強化へ~

 気象業務における産学官が連携を強めていくためには、産学官の対話を継続・強化し、情報共有等を密に行い、相互理解を深めた上で、課題への対応について、技術やノウハウ、人材・資金等のリソースを最適化できるよう協議していくことが必要です。

 このため、気象業務に関する幅広い産学官の関係者が対話を行う場を構築し、気象庁の防災情報の改善や、そのための技術開発、収集・作成した気象情報・データの提供、システム機器の整備等についての方向性や具体的な計画を関係者に示すことが重要であるとされています。

(2)人材の交流や育成 ~技術、ノウハウの保有から共有へ~

 気象業務全体がより一層社会に貢献していくためには、産学官のそれぞれが有するニーズの共有、気象庁が有する観測・予測に関する様々な技術やノウハウを産学と共有することや、大学・研究機関等による最先端の研究成果を気象庁や民間事業者の業務に活かしていくことが重要です。

 これを効果的に推進していくため、産学官の間での人材交流や、産学官が合同で研修を実施するなど、共同での人材の育成等を進めるべきとしています。

(3)産学官共同事業の推進 ~独自の事業から連携事業へ~

 近年、民間気象事業者の気象サービスは各段に充実しており、様々な技術・知見を有する民間事業者も増えるなど、気象庁と民間事業者が共同で事業を展開できる環境が整いつつあり、防災や公共の利便性を確保するために業務を行う国と多様なニーズに応える気象サービスを提供する民間事業者が連携することで、社会に対してより多様な貢献が可能となります。学術分野においても、気象学等の分野のみならず、ICT分野をはじめ、気象・気候の影響を強く受ける学術分野など、より広い範囲で気象業務への活用に向けた連携の可能性が生まれています。

 このような状況の中、産学官のそれぞれが持つ技術やノウハウ、人材・資金等のリソースを最大限活用し、共通の目的の下、共同で事業を進めていく必要があるとしています。

(4)クラウド技術を活用した新たな気象情報・データの共有環境の構築~データの配信から共有へ~

 気象情報・データは、気象業務のみならず様々な主体による社会経済活動の基盤、いわばソフトインフラとなるべきものです。このような中、近年、気象情報・データは飛躍的に増加しており、これらを産学官で有効に活用できるよう、クラウド技術を活用し気象情報・データの共有環境を構築すべきであるとしています。

5 気象業務における産学官連携推進のための気象庁の取組

 この提言を受け、気象庁では、今後、気象業務を取り巻く諸課題について、産学官による気象業務全体で社会に貢献していけるよう、産学との対話を繰り返しながら取り組んでまいります。特に、クラウド技術を活用した新たな気象情報・データの共有環境については、社会で活用できる気象情報・データが拡がることにより、産学の研究や技術開発が促進され、新たな気象サービスの展開が期待されることから、産学において気象情報・データを扱う利用者との対話を繰り返しながら構築に向けた取組を進めてまいります。

 また、「令和2年7月豪雨」、「平成29年7月九州北部豪雨」など、線状降水帯によりもたらされる豪雨により各地で甚大な被害が発生しており、線状降水帯の予測精度を向上し、防災気象情報を高度化していくことは喫緊の課題となっています。線状降水帯の予測精度を向上するためには、数値予報モデルの技術開発に加えて、大気の状態の正確な把握、特に海上からの水蒸気の流入量を把握することが不可欠です。

 このため、気象庁の海洋気象観測船と海上保安庁の測量船4隻に洋上の水蒸気を把握できる高度な観測機器を搭載し、海上での観測の強化に向けた取組を進めているほか、線状降水帯に関する最新の研究の知見を取り入れるため、学術関係者と意見交換するための「線状降水帯予測精度向上ワーキンググループ」を開催するなど、学官挙げての線状降水帯の予測精度向上に取り組んでいます(詳細は、特集Ⅰ.2(4)コラム「線状降水帯の予測精度向上をめざして」参照)。

 この他、気象庁では令和3年4月より民間事業者との人材の交流を開始しました。これにより気象庁が有する気象予測技術を民間事業者と共有するとともに、民間事業者が有するAI等の最先端技術を気象庁の技術開発にも取り入れていくことが期待されます。今後も、人材の交流等を通じて、産学官のそれぞれが保有するニーズ、技術やノウハウの効率的な共有に取り組んでまいります。


 今後とも、気象庁では、提言に沿った取組を進め、気象業務に関係する産学官が保有する技術やノウハウ、人材、資金等のリソースを最大限活用して、様々な社会課題に対し貢献してまいります。


コラム 気象業務における産学官連携への期待

新野 宏

 交通政策審議会気象分科会会長(東京大学名誉教授)
 新野 宏


 気象は日々の私たちの生活に大きな影響を与え、時には生命をも左右することがある。人々は古くから「太陽や月がかさをかぶると雨」「カエルが鳴くと雨」「夕焼けは晴れ」など、経験にもとづく言い伝えで天気を予想し、生活や防災に役立ててきた。近代的な気象学・気象技術の発展と共に、将来の気象は観測データと物理学の方程式にもとづき、スーパーコンピュータを使った「数値予報」により客観的に予測されるようになり、はるか上空の人工衛星から雲の分布、気象レーダーから雨の分布をリアルタイムで把握できるようになった。これらの気象情報は、防災や市民の生活、農業、電力、交通、商品管理など幅広い産業分野で利用されている。一方、近年の情報通信に関わる科学・技術の発展に伴い、大量の気象情報をリアルタイムで効率的に活用できる可能性が急速に増大しつつある。気象庁から発表される気象情報を例に取ると、土砂災害や洪水の危険度を地図上に示す、土砂災害警戒判定メッシュ情報や洪水警報の危険度分布には、土砂災害警戒区域等や洪水浸水想定区域なども重ねて表示されるようになり、多言語の説明も加えられるなど、地元の住民だけでなく旅行中の人や外国人などであっても、スマートフォンなどを使って自分のいる場所の危険性が瞬時に把握できるようになってきている。ここでは、気象を例にとったが、海洋、地震、火山に関する観測や情報についても同様の進展が生じてきている。

 しかしながら、気象庁から発表される警報・注意報を含む気象情報は、広く一般を対象としたものである。個別の業種や特定の個人が必要とするきめ細やかな情報は民間の気象会社などから提供されており、企業の中には独自に気象情報を解析して業務に役立てているところもある。気象会社や企業は気象庁から提供される情報をもとに独自に工夫・開発して必要な情報を作成しているが、そのような情報の中には実は気象庁から提供可能でありながらデータ量の問題で提供されていなかったり、気象庁の将来計画で提供予定であることが周知されていなかったために、気象会社や企業で無駄に開発の労力をかけてしまうこともあった。また、気象庁が最先端の気象学や人工知能・情報通信技術等を活かした業務を推進するためには、大学等研究機関との協力が不可欠であるが、気象庁が求める知識・技術と大学等研究機関が興味を持って行う研究とが必ずしも一致しないという課題もあった。これらの課題を解決し、産学官全体としての気象業務を発展させるためには、産学官の意思疎通を一層密にすることが必要と思われる。気象庁はこれまでも、核となる観測・予報の技術的業務を行うだけでなく、気象ビジネス推進コンソーシアムや気象研究コンソーシアムなど、産業界や研究コミュニティとの連携を推進する努力はしてきているが、今後、我が国における産官学全体としての気象業務をさらに推進するためには、産官学における気象業務の調整や連携促進にも積極的に貢献していくべきと思われる。そして、このような連携を深めるためには、産学官の対話の場の構築に加え、人材育成に関わる共同研修も含む多様な人材交流、共同事業の実施、クラウド技術等を利用したデータの共有体制の整備などが有用と思われる。世界気象機関(WMO)でも2018年から、気象業務全体の発展のために、産学官のWin-Winの関係による連携を推奨している。

 交通政策審議会気象分科会では、上述の方向性に関する議論を約8ヶ月にわたって行い、2020年12月に提言「気象業務における産学官連携の推進」をとりまとめた。気象庁がこの提言を活かして、気象庁のみならず我が国全体の気象業務のさらなる充実を図り、安全・安心で快適な社会の構築に貢献していくことに期待したい。

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