トピックス

Ⅰ 自然災害から身を守るための気象業務

トピックスⅠ-1 「南海トラフ地震臨時情報」の提供開始

(1)南海トラフ地震とは

 南海トラフ地震は、駿河湾から日向灘沖までの南海トラフ沿いのプレート境界で概ね100~150年間隔で繰り返し発生してきた大規模地震です。過去の事例では、想定される震源域の東側半分の領域で大規模地震が発生し、時間差を持って、残り半分の領域でも大規模地震が発生したことがあるほか、東側と西側で同時に地震が発生したこともあります。

時間差を持って発生した過去の南海トラフ地震

 南海トラフでは、前回の昭和東南海地震(1944年)や昭和南海地震(1946年)が起きてからすでに70年以上が経過しており、次の南海トラフ地震の発生の切迫性が高まってきていると考えられています。

 南海トラフ全体で想定される最大規模の地震が発生した場合は、静岡県から宮崎県にかけての一部の地域で最大震度7の激しい揺れが、関東地方から九州地方にかけての太平洋沿岸の広い範囲に10メートルを超える大津波の来襲が想定されています。

南海トラフ巨大地震の想定震源域と震度分布・津波高

(2)南海トラフ地震に対する新たな防災対応

 平成29年(2017年)9月に中央防災会議は、現時点では、地震の発生時期や場所、規模を確度高く予測することは困難である、つまり、南海トラフ地震を予知することは困難であると整理しました。一方、この報告の中で、確度の高い予測は困難であるものの、南海トラフ地震について「地震発生の可能性が平常時と比べて相対的に高まっている」と評価することは可能であるとも指摘しました。これを受けて、中央防災会議に設置された「南海トラフ沿いの異常な現象への防災対応検討ワーキンググループ」において、どのような場合に地震発生の可能性が高まっていると評価されるか、また、その際にどのような防災対応をとるべきかについて議論が進められ、平成30年12月に報告がとりまとめられました。この報告では、例えば、南海トラフのプレート境界で、マグニチュード8.0以上の地震が発生した場合は、隣接した領域で更に大規模地震が発生することへの警戒が必要であること、従って、地震発生後の避難では明らかに避難が間に合わない地域で1週間避難を行う等の防災対応が必要であることが示されています。また、マグニチュード7.0以上の地震や通常とは異なる「ゆっくりすべり」(下の質問箱参照)が発生した場合は、日頃からの地震への備えの再確認等の防災対応をとるべきとされました。


質問箱 ゆっくりすべりとは何ですか?

 近年、観測網の発達により、プレート境界では通常の地震よりもはるかに遅い速度でゆっくりとずれ動く「ゆっくりすべり」が発生していることが明らかになってきました。ゆっくりすべりは、継続期間によって、数か月から数年間にわたる「長期的ゆっくりすべり」と数日から1週間程度の「短期的ゆっくりすべり」に分類されます。

 南海トラフ周辺の長期的ゆっくりすべりは、プレート境界の固着が強いと考えられている領域より深い場所(深さ20~30キロメートル)で、数年から十年程度の間隔で繰り返し発生しています。また、南海トラフ周辺の短期的ゆっくりすべりは、長期的ゆっくりすべりの発生領域より深い場所(深さ約30~40キロメートル)で、数か月から1年程度の間隔で繰り返し発生しています。そして、短期的ゆっくりすべりの発生とほぼ同じ時期に、そのすべり領域とほぼ同じ場所を震央とする深部低周波地震と呼ばれる、通常の地震より長周期の波が卓越する地震が観測され、これは短期的ゆっくりすべりに密接に関連する現象と考えられています。

※ 固着が強い領域では、フィリピン海プレートの沈み込みに伴いひずみが蓄積し、地震発生のエネルギーが蓄えられていると考えられています。

ゆっくりすべりのイメージ図

(3)「南海トラフ地震臨時情報」の提供開始

 中央防災会議に設置された「南海トラフ沿いの異常な現象への防災対応検討ワーキンググループ」の報告(平成30年12月)をもとに、令和元年(2019年)5月31日に南海トラフ地震防災対策推進基本計画が変更されたことを受けて、気象庁では同日より「南海トラフ地震臨時情報」の提供を開始しました。この情報は、南海トラフの半分の領域で大規模な地震が発生し、残る半分の領域でも大規模な地震が発生する可能性が懸念される場合など、南海トラフ沿いで異常な現象が観測され、大規模地震発生の可能性が平常時と比べて相対的に高まっていると評価された場合に発表されます。また、情報を発表する際は、情報の受け手が防災対応をイメージし適切に実施できるよう、「巨大地震警戒」等の防災対応等を示すキーワードを情報名に付記します。情報の詳細は第1部2章1節(3)をご覧ください。


(4)「南海トラフ地震臨時情報」が発表されたらどうすればよいのか

 南海トラフ地震から自らの命を守るためには、家具の固定、避難場所・避難経路の確認、家族との安否確認手段の取決め、家庭における備蓄等の備えを日頃から確実に実施しておくことが重要です。

 その上で、「南海トラフ地震臨時情報」を見聞きした際には、あらためて事前の備えを確認しておくことに加え、政府や自治体からの呼びかけがあれば、それに応じた防災対応をとることが大切です。

 一方、南海トラフ沿いで異常な現象が観測されず、本情報の発表がないまま、突発的に南海トラフ地震が発生することもあります。このため、実際に大きな地震が発生した場合に避難などの適切な行動ができるよう、緊急地震速報や津波警報等を昼夜問わず見聞きできるようにしておくことも重要です。


コラム 南海トラフ地震 地域「防災・減災」シンポジウム2019を開催しました

 令和元年(2019年)5月から南海トラフ地震に関する新たな情報の提供が始まりました。南海トラフ地震や防災に関する取組などを紹介するとともに、地域の防災に携わる方々と、「南海トラフ地震臨時情報」や緊急地震速報、津波警報などの活用について議論することを目的としたシンポジウムを高知(11月18日)・宮崎(11月24日)・静岡(11月30日)・横浜(令和2年1月22日)の4会場で開催しました(主催:気象庁、内閣府政策統括官(防災担当)、消防庁、一般財団法人気象業務支援センター、緊急地震速報利用者協議会、開催地の地方気象台。後援:地球ウォッチャーズ -気象友の会- ほか)。各会場は、いずれもほぼ満員で、合計1,000名以上の方に参加いただきました。

静岡会場のパネルディスカッションの様子

 シンポジウムは各会場とも、基調講演とパネルディスカッションの2部構成で行いました。基調講演ではまず、南海トラフ地震や南海トラフ地震に関連する情報について、気象庁から説明し、それぞれの県の防災対応や地域防災計画について県の防災部局担当者からお話しいただきました。

 パネルディスカッションでは、「情報と行動が命を救う」をテーマに、「南海トラフ地震臨時情報」や「南海トラフ地震関連解説情報」等を活用した防災対応・行動のあり方等について、地域ごとの特色を踏まえたキーワードを設定し、それぞれの地域の各分野の有識者により議論いただきました。

 シンポジウム全体は、「南海トラフ地震臨時情報」とそれに関わる防災施策、並びにそれを活用して命を守る行動をとる際に重要となる点を参加者に知っていただくことをメインテーマとして行いましたが、それぞれの地域ごとに特色のある意見を多数いただきました。例えば、高知会場では、一人では避難が困難な要配慮者の方の支援に、「南海トラフ地震臨時情報」をどのように活かせるのか、静岡会場では静岡県では東海地震に備えた対策を進めてきたが、それまでの防災対応を大きく見直すことになったこと、宮崎会場では避難する人が障害者、高齢者、子供、LGBT、外国人など多様であり、臨機応変に対応しなければならないこと、横浜会場では、首都直下地震への対応とあわせた防災対策の推進が重要なこと、など活発な意見交換が行われました。気象庁では、今回のシンポジウムで出された意見を踏まえて、「南海トラフ地震臨時情報」、「南海トラフ地震関連解説情報」や大規模地震の際に発表する緊急地震速報、津波警報等とそれらの情報を活用した防災対応・行動、地域防災等の普及・啓発に努めていくこととしています。


コラム 南海トラフ地震臨時情報を受けた地方自治体の対応

高知県ロゴ

高知県危機管理部南海トラフ地震対策課


 高知県では、南海トラフ地震による被害の軽減や地震発生後の応急対策、速やかな復旧・復興に向けた事前準備など、具体的な取組をまとめた南海トラフ地震対策行動計画を定め、様々な対策を実施しています。その中で、「南海トラフ地震臨時情報」に対する対応についても、取組を進めているところです。

 平成29年(2017年)11月の「南海トラフ地震に関連する情報(臨時)」の運用に併せ、まずは臨時情報が発表された際の初動体制について、県と市町村が連携して体制を構築しました。

当面の対応方針

 一方で、臨時情報は不確かな情報で、対応が難しいという声もありましたが、県としては、地震対策は突発対応を基本としつつも、臨時情報により一人でも多くの命を救うために、国のワーキンググループでの検討と並行して、平成30年5月に臨時情報による防災対応を検討するための市町村会議を設置し、平成30年11月には、当面の対応方針(上図)を決定しました。

 また、この会議の中で、避難所を開設する際の財政負担を心配する声もあったことから、令和元年度(2019年度)から、本県独自の財政支援制度、「高知県南海トラフ地震事前避難対策支援事業費補助金(予算額:500,000千円)」を創設し、臨時情報が発表された際に市町村が開設する避難所の運営費に対する支援策も設けたところです。

 平成31年3月の国のガイドラインを踏まえ、市町村の防災対応が進むよう、令和元年7月に県版の検討手引きを策定するとともに、県民や事業者への啓発を進めるため、南海トラフ地震防災対策計画の作成が義務づけられている事業者への説明会を行い、延べ1,446名の方に参加いただきました。翌8月には、広報特別番組も放送するとともに、地域の防災学習会等での説明も継続して行い、臨時情報の周知に取り組んでいるところです。

 県では、令和元年11月に臨時情報による防災対応について地域防災計画の改定を行い、全市町村が、令和元年度内に計画改定が行われるよう支援しています。


コラム 「ゆっくりすべり」を捉える

 「ゆっくりすべり」は、プレート境界で発生する通常の地震よりもはるかに遅い速度でゆっくりとプレートがずれ動く現象です(質問箱「ゆっくりすべりとは何ですか?」参照)。南海トラフなどで観測される「ゆっくりすべり」は、大規模地震が発生するプレート境界の固着が強い領域の近くで発生することから、大規模地震の想定発生プロセスに関わっているものと考えられます。「ゆっくりすべり」が大規模地震の発生域内で観測され、それが以前と比べより大きい規模であった場合は、地震発生の可能性の高まりを示す現象であるといえます。したがって、「ゆっくりすべり」がどのような場所で、どの程度の規模で発生しているのかを捉えることは重要です。気象研究所では、「ゆっくりすべり」のプレート境界での面的な分布を詳細に解析するための技術開発を行いました。

 「ゆっくりすべり」は通常の地震とは異なり、地震計では捉えることはできませんが、ひずみ計などの地殻変動の観測により捉えることができます。そのような地殻変動観測データの変化をもとに、地下で発生している「ゆっくりすべり」の面的な分布を推定できます(図)。この例では、地下約30キロメートル付近の、深部低周波地震が発生している場所の近くで、短期的ゆっくりすべりが発生していると推定されます。

令和元年8月3日頃~ 8月6日頃にかけて発生した短期的ゆっくりすべり

 南海トラフ沿いで大規模地震発生の可能性が高まっていることを的確に検知するためには、「ゆっくりすべり」の発生場所や規模を正確に捉えることが重要です。「ゆっくりすべり」の全貌はまだ十分に捉えられていませんが、その研究を進めることによって、巨大地震への理解も進み、地震発生に伴う災害の防止・軽減に寄与するものと考えられます。


トピックスⅠ-2 海底から地震・津波を捉える
~海底地震津波観測網による緊急地震速報、津波警報の改善~

 気象庁では、海域で発生した地震に対してより早く緊急地震速報を発表するため、近年、国立研究開発法人防災科学技術研究所(以下「防災科研」という。)により整備された海底地震計のデータを活用するための検証を進めてきました。その結果、海底では地盤の状態が地上とは大きく異なることや地震計がしっかりと固定できないために、震源の近くでは地震の揺れが本来よりも大きく観測される場合があることがわかりました。このため、気象庁と防災科研は協力して、そのような大きな揺れを用いずに適切な揺れだけを解析に利用する技術開発を行い、「地震・津波観測監視システム(DONET)」及び「日本海溝海底地震津波観測網(S-net)」の観測データを令和元年(2019年)6月27日より緊急地震速報の発表に利用し始めました。これにより、緊急地震速報(警報)の発表が、紀伊半島沖から室戸岬沖で発生する地震については最大で10秒程度、日本海溝付近で発生する地震については最大で30秒程度早まることが期待されます。

DONET2 の地震観測データ利用による効果S-net の地震観測データ利用による効果

 また、沖合の観測点では沿岸に到達する前に津波を観測できることが多く、気象庁では沿岸に加えてDONETやS-net等で得られる沖合の津波観測データも監視しており、津波警報等の更新や「沖合の津波観測に関する情報」の発表に利用しています。 さらに、平成31年(2019年)3月26日からは、津波警報等の更新に、複数の沖合観測点で観測される津波観測データを用いて、より精度良く沿岸での津波の高さを予想する手法(tFISH)も活用しています。


※ tFISHは「tsunami Forecasting based on Inversion for initial sea-Surface Height」の略称です。tFISHは沖合で観測された津波データから津波の発生源(波源)を推定し、沿岸の津波の高さを津波到達前に予測する手法で、気象研究所で開発されました。


コラム 海底地震津波観測網とは


 国立研究開発法人防災科学技術研究所
 地震津波火山ネットワークセンター長
 青井 真


 東日本大震災を引き起こした2011年東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という日本周辺で知られている最大級の地震でした。このような陸から離れた海域で起こる巨大海溝型地震を、陸域における地震観測によるデータだけから即時に推定し警報を出すことは技術的に極めて困難なことであり、地震直後により早く正確な防災情報を出すには海底ケーブル式による定常観測が有効であることがあらためて認識されました。阪神・淡路大震災を契機に、2000年代の初めまでには陸域における地震の観測体制は量・質ともに世界でも類を見ないものとなっていました。一方、海域における地震や津波の観測も、気象庁による東南海沖ケーブル式常時海底地震観測システムなどいくつかの海底地震津波観測網がありましたが、東日本大震災当時の観測網は稠密に空間を覆うかたちでの地震や津波観測体制とはなってはおらず、新たな観測体制の構築が急務でした。

 防災科学技術研究所(以下、防災科研)は、東日本地域太平洋岸沖合における地震や津波の早期検知・情報伝達などを目的として、千葉県房総半島沖から北海道沖日本海溝沿いの海域に日本海溝海底地震津波観測網(S-net)を2016年度末に整備しました。S-netは、津波を観測する水圧計と地震を観測する速度計や加速度計を備えた観測点150地点を合計約5,500kmにわたる光海底ケーブルで数珠つなぎに海底に敷設された世界最大規模の海底地震津波観測網です。7,000mを超える高い水圧のかかる深海に設置するため技術的に難易度が高く、故障時の修理が困難であることから様々な技術開発がなされています。また、巨大地震の発生が懸念される南海トラフ沿いにはJAMSTECが整備した地震・津波観測監視システム(DONET)があります。東日本大震災発生当時は、熊野灘沖をカバーするDONET1は整備途中でしたが、その後、紀伊水道沖をカバーするDONET2は東日本大震災の発生を受け整備計画が前倒され、全51点の整備を完了後に防災科研に移管されました。

海域地震津波観測網

 地震は陸域でも海域でも発生し、海域の地震であってもエネルギーは地震波として陸へ到達して被害を起こします。観測を陸域と海域に分けているのは観測技術の問題に過ぎず、陸域と海域の観測データを統合的に解析することはさまざまなメリットがあります。S-netやDONETは防災科研陸海統合地震津波火山観測網MOWLASとして運用しています。

 S-netやDONETのように人が住んでいない海域で観測することで、陸域や沿岸のみで観測する場合と比較して、地震動の検知が最大30秒程度、津波に関しては20分程度早くなります。 S-netやDONETのデータは気象庁にリアルタイムで伝送され、気象庁の緊急地震速報や津波警報などの各種警報業務等の猶予時間の増大や精度向上に貢献しています。また、新幹線をより早く安全に停止するなど民間事業者における防災対策でも活用されています。


トピックスⅠ-3 津波警報等の視覚による伝達のあり方

(1)はじめに

 気象庁から津波注意報、津波警報または大津波警報(以下「津波警報等」という。)が発表されたとき、海岸は津波が最初に襲いかかる場所であることから、海の中にいる人は、津波に流されないために直ちに海から上がり、海岸周辺にいる人も含め、海岸から離れることが必要です。このため、海水浴客やマリンスポーツ・海釣りを行う人など、海水浴場等の海岸(以下「海水浴場等」という。)にいる人に対して、津波警報等が発表されたことをいち早くかつ確実に伝える必要があります。一方、平成23年(2011年)の東日本大震災では、岩手県、宮城県及び福島県における聴覚障害者の死亡率が聴覚障害のない人の2倍にのぼったとのデータがあり、このことは聴覚障害者への情報伝達が課題であることを示しています。

 気象庁では、平成24年度(2012年度)及び令和元年度(2019年度)に、全国の自治体を対象として、海水浴場等における津波警報等の伝達に関するアンケート調査を実施しました。これによると、津波警報等が発表された際の海水浴場等での避難の呼びかけに関して、「聴覚」による手段に比べ、「視覚」による手段の整備事例は少ない状況であることが分かりました。また、旗を用いて津波からの避難の呼びかけを行っている先進的な自治体があるものの(右図参照)、全国的には統一がなされていない状況にあります。

津波警報等を旗により伝達している自治体数(令和元年9 月時点:予定を含む)

 近年、国や自治体等において、視覚・聴覚障害者等への的確な情報伝達がなされるよう配慮する等の方針が示されています。以上の点を踏まえ、気象庁では、「津波警報等の視覚による伝達のあり方検討会」(座長:東京大学田中淳教授)を開催し、令和元年10月から令和2年2月にかけて、海水浴場等において津波警報等を受ける聴覚障害者の立場を第一に考慮の上、望ましい「津波警報等の視覚による伝達」について検討を行いました。



(2)津波警報等の視覚による伝達のあり方検討会

ア. 検討に当たって

 検討会では、既存の取組を考慮し、「旗」を用いた津波警報等の伝達について検討しました。この検討に当たっては、旗の「色彩」について視認性を重視し、その上で色覚の多様性や外国人への配慮の観点も考慮することとしました。また、実際の海水浴場において、有効性の検証を行うこととしました。

イ. 海水浴場における津波警報等の旗による伝達の有効性検証

 本検討に当たり、筑波技術大学、公益財団法人日本ライフセービング協会及び一般財団法人全日本ろうあ連盟の協力のもと、神奈川県横浜市の「海の公園」にて、旗を用いた伝達の有効性の検証を行いました。検証に用いた旗は、既存の取組及び色彩学の観点から、赤旗、オレンジ旗及び赤と白の格子模様の旗(国際信号旗の「U旗」)等としました。

 検証では、聴覚障害者の方にご協力をいただき、浜辺でライフセーバーにより掲揚された各種旗について、レスキューボートに乗船のうえ、浜辺から100メートル、150メートル及び200メートルの地点からそれぞれ視認性に違いがあるかを調査しました。

 その結果、オレンジ旗に比べ、赤旗とU旗の方が遠距離からでも視認性が高いことなどがわかりました。また、より多くの意見を参考にするため、本検証実施時に撮影した写真を用いて、検討会委員の筑波技術大学の井上征矢教授が、聴覚障害者70名及び色の見分けが難しい人6名を対象に、旗の視認性等に関するアンケートを行いました。その結果、海岸での検証と同様に、赤旗とU旗の視認性がオレンジ旗よりも高く、さらにU旗は赤色が見えにくい人であっても視認性が高いことが確認されました。

検証で用いた旗

旗による伝達の有効性検証の風景

ウ. 検討結果

 検討の結果、「赤と白の格子模様の旗」(U旗)は、赤色が見えにくい人も含め視認性が高く、海からの緊急避難を呼びかけるものとして国際的にも認知されていることを踏まえ、海水浴場等における津波警報等の伝達に用いることが望ましい「旗」として、以下のとおり取りまとめられました。

・色彩 : 赤と白の格子模様

     (国際信号旗である「U旗」と同様の色彩)

・形  : 四角形

・大きさ: 短辺100センチメートル程度以上とすることが望ましい

※ 津波注意報、津波警報及び大津波警報の伝達は全て同じ旗で行う

※ 解除の際の伝達は必要としない 

 気象庁では、本検討結果を受け、海水浴場等における津波警報等の旗による伝達が全国的に普及し、「赤と白の格子模様の旗」は「津波警報等」であることを聴覚障害者だけでなく外国人も含め広く理解いただけるよう、関係機関と連携し周知に取り組んでまいります。

赤と白の格子模様の旗による伝達(イメージ)

コラム 3月11日の津波、聴覚障害者は「逃げろ!」の声が全く聞こえなかった…


 一般財団法人全日本ろうあ連盟
 聴覚障害者災害救援中央本部
 荒井 康善


 2011年3月11日に発生した巨大津波。「逃げろ!」の言葉が届かなかった、逃げようとしたが逃げることができなかった障害者の死亡率は、住民全体に対する死亡率の2倍にも達していました。中でも防災無線が聞こえず、津波が来ることも知らずに亡くなった聴覚障害者が多くいました。

 南海トラフ地震では津波の発生により甚大な被害が発生すると想定されています。聴覚障害の方々は災害緊急時に情報がなかなか取りにくいので、危険にさらされることがあります。一方で、もし情報を早くもらえれば、私たちはきこえないだけで身体は動くので、周りの人たちを助けることができます。いつでもどこでも情報にアクセスさえできれば、きこえない私たちも誰かを助けることができるのです。津波災害時に限らず、聴覚障害者に素早く命に関わる情報をどのように伝達すればよいのか、それだけでなく、きこえないということはどういうことなのか、皆さんで考えていただきたいと思います。

 気象庁の「津波警報等の視覚による伝達のあり方」の検討により、津波警報等の視覚による伝達が全国的に普及し、津波警報等が聴覚障害者に一層確実に伝わるようになるとともに、津波被害の軽減につながることを期待します。そして、障害があるなしに関係なく、みんなの「命」を守り、安心して生活できる社会になれることを切に願っています。


コラム 津波警報等の視覚による伝達手段の検討に聴覚障害学生とともに参加して


 筑波技術大学産業技術学部
 総合デザイン学科教授
 井上 征矢


 私が所属する筑波技術大学産業技術学部は、聴覚障害のある学生のみを受け入れる学部です。2016年に障害者差別解消法が施行され、障害のある人々への支援や配慮の整備が加速することが期待されています。そのような中、私が常々意識していることは、聴覚障害者を支援する制度や技術が構築される際に、自らも積極的に貢献できるような専門知識や技術力と、それらに裏付けされた発言力を身につけた学生を育てたいということです。

 この度、「津波警報等の視覚による伝達のあり方検討会」に聴覚障害のある学生達とともに関わる機会を頂きました。災害時に聴覚障害者の命に関わる重要でかつ急務な検討です。その一環として行われた「海水浴場における旗による伝達の有効性検証」で使用された旗のうち5種類は、「安全色」や「案内用図記号」に関するJIS規格や、色覚の多様性などを考慮し、学生達とともに検討して提案したものです。結果的にそれらの案は採用されませんでしたが、日光、反射、風、揺れ、背景色、視距離などの多くの自然条件が絡む中で、講義室や研究室では分からない学びや発見がありました。また学生達は、自分達の案に固執せず、実効性を重視した公正な視点でその有効性を評価するなど、本検討に大きく貢献してくれました。聴覚障害者の命に関わる意義ある検討に、聴覚障害のある学生達とともに関わる機会を頂けたことに心より感謝申し上げます。

 今後、当検討会から提案された「赤と白の格子模様の旗」の意味が周知され、聴覚障害者に限らず、より多くの人々の避難誘導に役立つことを願っています。


トピックスⅠ-4  天気分布予報と地域時系列予報を改良しました

 気象庁では熱中症対策をはじめとした地域の防災支援を強化するため、令和2年(2020年)3月より、従来の20キロメートル四方の領域平均の天気分布予報を詳細化し、5キロメートル四方の解像度で提供しています。また、この変更に合わせて予報対象時間を翌日の24時まで延長し、降水量の階級の追加等の変更も行っています。同時に地域時系列予報についても予報期間の延長等を実施しました。今回の高解像度化や予報時間の延長は、平成8年(1996年)3月に「分布予報」の発表を開始して以来、初めての大きな改良となります。

天気分布予報と地域時系列予報の主な変更点

 天気分布予報は同じ時刻に発表する府県天気予報とも整合しており、従来提供していた予報よりも、実際の地域特性(地形や標高)に近い明日までの天気、気温(最高気温及び最低気温を含む。)、降水量などを詳しく確認できます。特に夏期に気温を確認いただくことにより、熱中症の防止に役立てていただけるものと考えています。

天気分布予報と地域時系列予報の例

トピックスⅠ-5 大雪への備え ~雪に関する新たな情報~

 平成30年(2018年)1月の首都圏での大雪や2月の北陸地方での大雪など、近年、集中的・記録的な降雪が発生し、大規模な車両渋滞・滞留を引き起こすなど、社会活動への影響が問題となっています。気象庁は、この状況を踏まえ、令和元年(2019年)の冬から雪に関する新たな情報の提供を開始しました。まず、現在の積雪・降雪の分布を推定する情報として、「現在の雪」(解析積雪深・解析降雪量)を令和元年(2019年)11月13日から開始しています。

「現在の雪」の活用例

 さらに、大雪の際に各地の気象台が発表する気象情報において、冬型の気圧配置により日本海側で数日間降雪が持続するようなときなど、降雪量について精度良く予測が可能な場合には3日先までの降雪量予測を提供する取組を進めるほか、短時間に記録的な大雪があった際には一層の警戒を呼びかける取組も進めています。

各地の気象台が発表する気象情報での記述例

トピックスⅠ-6 台風に関するハイレベル東京会議

(1)会議概要

 気象庁は、世界気象機関(WMO)の枠組における熱帯低気圧地区特別気象センター(RSMC)の東京センター(以下「東京センター」という。)として、北西太平洋域の台風の監視を行い、東アジア地域の14の国と地域に対して、台風の進路や強度等の実況や予報を提供するとともに、地域内の予報官を対象とした研修等を実施しています。令和元年(2019年)が同センターの運用開始30周年に当たることを記念して、令和元年(2019年)10月10日(木)・11日(金)に、「台風に関するハイレベル東京会議」及び「熱帯低気圧RSMC東京センター30周年記念式典」を開催しました。

 会議は、東京センターの情報を国内の台風防災対応に活用している東アジア各国・地域の気象局長官や、ホノルル(米国)、ラ・レユニオン(フランス)、マイアミ(米国)、ナンディ(フィジー)、ニューデリー(インド)それぞれの熱帯低気圧RSMCの所長、国内の台風防災に関わる機関の関係者を招いて行われました。

台風に関するハイレベル東京会議での議論風景

 会議では、まず内閣府(防災)から法制度や防災計画をはじめとする我が国全体の防災対策の仕組み、国土交通省水管理・国土保全局から同省の水災害対策、東京都から地方公共団体の台風防災への取組を示し、日本の台風防災の全体像を紹介しました。さらに、各国気象機関や各RSMCからの取組の報告を受けて、これまでの30年間で気象現象の観測・予測技術が飛躍的に向上したことを確認しつつ、いまだ台風が甚大な人的・物的被害をもたらしている現状認識を共有しました。そして、今後の被害軽減のために必要な取組として、「早めの避難など、住民の適切な防災行動につながる防災気象情報を、国家気象機関がいかにデザインし発表・伝達すべきか」、「防災気象情報を活用して被害軽減につなげるために、どのような普及啓発活動や人材育成を進めるべきか」の2つのテーマについて、各国・地域の事例紹介と質疑応答を通じた討議を行いました。

(2)東京宣言

 2日間の熱心な議論を踏まえ、今後10年間で台風による災害リスク及び損失を大幅に削減するため、従来の自然科学的な観測・予測技術向上に加え、防災情報を適切な避難行動に結び付けるリスク認識や行動科学の理解を踏まえた台風防災への新しいアプローチが必要であることを、「台風から命と財産を守る10年ビジョン」を含む東京宣言としてとりまとめました。この宣言には、国家気象機関が、様々な分野の専門家と協力して適確な防災気象情報を発表する能力を高めるとともに、その防災気象情報を活用して各国・地域の防災関係機関が防災対応を行う際の「トリガー」としての役割を果たす、という会議出席者の決意が込められています。

台風から命と財産を守る10年ビジョン

国家気象機関が、国全体の防災対応のトリガーという役割を再認識し、水文等の他の科学技術分野、社会科学分野、緊急対応・市民保護部門と協働し、関係機関や住民一人一人の、台風災害から命を守り被害を最小化する意思決定と防災行動につながる情報を提供し、その利活用を促進する。それにより、台風に強い社会を実現する。

(3)熱帯低気圧RSMC東京センター30周年記念式典

 「台風に関するハイレベル東京会議」に続いて、東京センターの運用開始30周年を祝う「熱帯低気圧RSMC東京センター30周年記念式典」を開催し、東京宣言を発表しました。式典には安倍総理大臣がビデオメッセージを寄せ、東京センターが東アジア地域の防災活動に大きく貢献してきたことを述べるとともに、気象災害が激甚化するなかで、気象災害の軽減に果たすべき各国の気象機関の役割、我が国のイニシアチブがこれまでにも増して重要となっていることを強調しました。また、御法川国土交通副大臣は、令和元年が伊勢湾台風(昭和34年台風第15号)から60年の節目にも当たることに触れ、この台風がもたらした甚大な被害が契機となり政府が「災害対策基本法」を整備し、政府全体で防災対策に取り組んできたことを述べました。そして、その防災対策を更に強化する必要性、及び台風防災における東アジア各国・地域間の一層の協力強化の重要性を指摘しました。ターラスWMO事務局長は、この30年間に成し遂げられた気象現象の監視・予測技術の向上により、熱帯低気圧がもたらす人的被害が大幅に軽減された一方で、1970年から2019年に最も大きな経済的被害をもたらした10の自然災害のうち7が熱帯低気圧によるものであり、熱帯低気圧をはじめとする様々な自然災害に対応できるマルチハザード警報システムの構築が、将来の被害軽減につながるとして、各国・地域の更なる努力を促しました。

 同会議と記念式典の開催翌日には、令和元年東日本台風(台風第19号)が関東地方を通過する状況になり、結果的に、会議出席者には防災への日本の姿勢を強く印象付けることになりました。この台風は、広い範囲で記録的な大雨をもたらし、河川の氾濫が相次いだほか、土砂災害や浸水害により甚大な被害が生じました。その後、政府内で、河川や気象の情報の発信や伝達等の課題について検証し改善策の検討が進められました。このような取組も、令和2年10月に開催される第4回アジア・太平洋水サミット等の場を通じて諸外国に共有していきたいと考えています。

 気象庁は、「台風から命と財産を守る10年ビジョン」の実現を目指し、東京センターのサービスの拡充、我が国の経験や知見の共有、東京宣言として世界に発信した新しいアプローチに必要な人材の育成等を通じて、東アジアと世界の台風に強い社会実現に引き続き貢献していきます。

熱帯低気圧RSMC 東京センター30 周年記念式典

Ⅱ 地球環境を見守り、未来に繋げるための気象業務

トピックスⅡ-1  海洋気象観測船が捉えた海洋の深層循環

 海洋は、地球温暖化により増加した熱エネルギーの約90%を取り込み、また、排出された二酸化炭素のうち約3割を吸収し地球温暖化を緩和する役割を担っています。こうしたことから、地球温暖化を監視する上で海洋の変動を把握することが重要になります。広い海洋を監視するためには、国際協力の下で衛星や船舶、自動観測装置(アルゴフロート)等を活用した観測が行われており、気象庁も参加しています。気象庁の海洋気象観測船は①台風・豪雨等の防災に向けた気象観測、②日本の気候に影響する海洋の循環を把握するための海洋内部の水温・塩分等の海洋観測、③二酸化炭素をはじめとした温室効果ガス観測、④海洋汚染の原因である海洋プラスチック類の目視観測、などを行っています。

 その観測項目の一つに海洋中のフロン類の観測が挙げられます。フロン類はもともと自然界に存在しない人為起源の化学物質であるため、海洋には、海面から溶け込んでその海水が沈み込み海洋内部に運ばれたものしか存在しません。そのため海洋の循環等の追跡に利用できます。これまで太平洋の海底付近でフロン類が観測されたのはすべて南半球においてでしたが、平成30年(2018年)と平成31年(2019年)に行った気象庁の観測航海において、世界で初めて北太平洋の海底付近でもフロン類が検出されました。左下に地球全体の海水の循環のおおまかな模式図を示します。北太平洋の深層水は、南極周辺の海面で冷却された海水が海底付近まで沈み込み、南太平洋を北上してきたものであると考えられています(右下図の薄い青矢印)。今回東経165度線沿いに北半球でフロン類が見つかったことは、海底付近の流れの経路を観測から裏付けるものとなり、その速度は毎秒約1センチメートル(年間約315キロメートル)であることも示しています。

 このような観測成果は、海洋大循環モデルの信頼性を高めるために利用され、さらには地球温暖化モデルの将来予測の精度向上に役立ちます。気象庁は、海洋気象観測船による様々な海洋の観測や解析を通じて地球環境を監視し予測情報を充実・強化することで、引き続き気候変動のメカニズム解明に貢献していきます。

深層循環の模式図太平洋の深層でフロン類が観測された場所と年代

トピックスⅡ-2 IPCC海洋・雪氷圏特別報告書の公表

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、気候変動に関して、研究成果を収集、整理、評価し、成果を提供する政府間機関です。IPCCの報告書は、世界中の研究者が参加して数年ごとに取りまとめられ、各国政府機関等の地球温暖化対策に科学的根拠を与える重要な資料となっており、令和元年(2019年)9月には最新の報告書である「海洋・雪氷圏特別報告書」が公表されました(https://www.ipcc.ch/srocc/)。地球表面の7割以上を占める海洋、及び地球の陸域面積の約10%を占める雪氷圏(高山地域や極域の氷河など)は、地球システムの中で重要な役割を担うとともに海洋の沿岸域や雪氷圏に居住する人々、更に食料、水資源、観光、運輸、貿易などを含めると世界のほとんどの人に影響を与えています。この海洋及び雪氷圏の地球温暖化に伴う過去・現在・将来における変化やその影響に関する最新の科学的な知見を取りまとめた本報告書は、他のIPCC報告書同様、気候変動枠組条約に基づき実施される国際的な枠組や各国が実施する地球温暖化対策の基盤となる資料です。本報告書の作成には、日本からも専門家が参加するとともに、気象庁の海洋気象観測船などによる長期的な観測データや数値シミュレーション実験等も重要な知見として活用されるなど、我が国も貢献しています。

IPCC海洋・雪氷圏特別報告

 この報告書において、海洋及び雪氷圏の地球温暖化に伴う変化がより加速して変化していること、将来の海面水位上昇の予測がこれまでの見積もりより大きくなっているなどが明らかになりました。実際の報告書は700ページを超える大冊ですが、ここでは主な結果をいくつかご紹介します。

【海面水位】世界の平均海面水位は、グリーンランド及び南極の氷床の減少速度の増大、氷河の質量の減少及び海洋の熱膨張の継続によって、最近数十年加速化して上昇している。将来は海面水位の上昇が加速し、高潮などの極端な現象の頻度が増大すると予測されている。温室効果ガスの高排出シナリオ(RCP8.5)では、海面水位の上昇予測がIPCC第5次評価報告書より大きいものとなっている。

【雪氷圏】過去から現在まで、氷床・氷河の質量、積雪面積、北極域の海氷面積等が減少し、永久凍土の温度が上昇している。将来も気温上昇によって氷床・氷河の質量、積雪面積、北極域の海氷面積の減少が短期的(2031-2050年)に継続し、グリーンランド及び南極の氷床については21世紀中、更にそれ以降も加速して減少すると予測されている。

【海洋】過去から現在まで、海洋は確実に昇温しており、地球の余剰熱の90%以上を吸収している。また、海洋の酸性化及び酸素減少が進行している。将来は、21世紀にわたり水温上昇、酸性化、酸素減少が進むと予測されている。

 この他にも、海洋及び雪氷圏の変化の影響として、生態系、漁業、観光、運輸・輸送、インフラ等の影響リスクなどがあげられています。

 気候変動対策を進めるには、このような科学的知見が不可欠です。気象庁では、今後もIPCCの活動に貢献するとともに、我が国の地球温暖化対策に必要となる日本の気候変動の実態と見通しについて、最新の知見を取りまとめ情報の充実と発信に取り組んでいきます。


トピックスⅡー3 高層気象台創立100年を迎えて

 我が国における高層気象観測は山岳での気象観測として始まり、明治43年(1910年)に茨城県・千葉県を襲った暴風雨により房総沖で漁船の大量遭難が発生したことを契機に、その重要性が広く議論されるようになりました。こうした中、地表から上空までの高層気象を総合的に探求すべく、今から100年前の大正9年(1920年)、茨城県筑波郡小野川村館野番外地(現在のつくば市長峰)に高層気象台が設立されました。

 創立期の高層気象台は、凧、測風気球、探測気球、係留気球等を欧米から積極的に取り入れて観測を行い、我が国の高層気象観測の先駆的な役割を果たしました。なかでも、初代台長である大石和三郎は、大正12年(1923年)3月から大正14年(1925年)12月までの1,288回の測風気球を用いた観測を取りまとめ、冬の館野上空10 キロメートルに吹く、毎秒70メートルを超すジェット気流を世界に先駆けて発見するという、大きな功績を残しています。

凧による上空の観測ジェット気流の発見をもたらした高層風の観測

 高層気象台はその後、国際地球観測年(昭和32年~33年(1957年~1958年))を契機に成層圏オゾンと日射放射観測を、平成2年(1990年)に紫外線観測を開始する等観測対象を大気環境分野へと広げつつ、我が国を代表する観測点として精密な高層気象観測を行ってきました。また、これらの観測基準の維持・精度向上等に関する調査研究や技術開発、世界基準器との国際比較観測による国内基準器の維持、南極を含む国内測器の維持管理や技術支援を行うとともに、国内外の職員の研修を実施するなどの役割を担っています。

 これら地球規模の気候変動・大気環境監視の基盤となる観測を実施している高層気象台は、世界気象機関による様々な観測計画に参加し、国際的な貢献もしています。例えば、上空の大気(気圧、気温、湿度、風)を観測する機器(ラジオゾンデ)を新しいものに更新する際には、新旧測器の比較観測による系統的な差を把握し、その補正を行うことで長期間均質な高層観測データの提供を行っています。また、オゾンを観測する機器であるドブソン分光光度計のアジア地区基準器を管理し、各国測器と比較観測することにより、アジア地区におけるオゾン観測の精度維持に貢献するとともに、観測データを各国に提供しています。

 高層気象台は、今後も日本上空の高層気象観測を高精度に行い、地球規模の気候変動・大気環境の監視に貢献していきます。

ラジオゾンデの比較観測ドブソン分光光度計の比較観測

トピックスⅡー4 南極昭和基地の60年

 我が国の南極地域観測事業は、国際地球観測年(昭和32年~33年(1957年~1958年))を契機として始まり、「南極地域観測統合推進本部」(本部長:文部科学大臣)の下、関係省庁等が連携して実施しています。気象庁は昭和32年(1957年)の第1次観測隊より昭和基地を中心とする気象観測に参加しています。

 初期の観測隊における任務は地上気象観測のみでしたが、その後、高層気象観測、オゾン観測及び日射放射観測と徐々に観測要素を増やし、現在は5人の越冬隊員を毎年派遣して観測を行っており、地上気象観測については、これまでに60年以上にわたる精度良い観測データを蓄積してきています。いずれの観測も世界気象機関(WMO)の国際観測網の一翼を担っており、得られた観測データは日々の気象予測に利用されるほか、世界の気象機関・研究者に提供して地球環境問題の解明と予測の基礎資料として活用されています。特に昭和基地でのオゾン観測結果は、南極オゾンホールの発見とその原因究明に大きく寄与したことから高い評価を受けています。

 加えて、昭和基地は、50年以上にわたる品質の高い高層気象観測の実績が認められ、平成29年(2017年)に世界気象機関が主導する全球気候観測システム基準高層観測網(GRUAN)に登録されました。引き続き、気候変動・大気環境監視のために信頼できる高品質な高層観測データの長期取得及び世界各国の関係機関への提供を行ってまいります。

 近年、昭和基地では各施設が更新時期を迎えており、これまで気象観測の拠点として使われてきた「気象棟」も建設から40年が経過し、老朽化が課題となっていました。令和元年(2019年)12月2日から、新たに建設した「基本観測棟」へ拠点を移し、安定した観測の継続に向けて新たなスタートを切りました。

 気象庁は、これからも南極の地から地球環境の問題に取り組んでまいります。

高層気象観測の様子

新たに建設した基本観測棟

Ⅲ 社会や暮らしの中の気象業務

トピックスⅢ-1  外国人に向けた防災気象情報の提供

 近年の訪日外国人や滞日外国人労働者の増加を受け、災害発生時等の緊急時に必要な情報を外国人にも提供できるよう、政府一体となって取り組んでいます。気象庁では、大雨や地震発生時等において、外国人の方々が防災気象情報を入手でき、安全・安心に過ごせるよう、令和元年(2019年)7月に気象庁ホームページ(https://www.jma.go.jp/jma/kokusai/multi.html)において多言語による防災気象情報の提供を開始しました。

多言語による防災気象情報ホームページ

 現在提供している情報は、地震情報、気象や津波、火山噴火に関する警報・注意報等の主な防災気象情報(下表参照)です。また対応言語は、当初は日本語、英語、中国語(簡体字・繁体字)、韓国語、スペイン語、ポルトガル語の6か国語のみでしたが、現在ではこれらにインドネシア語、 ベトナム語、タガログ語、タイ語、ネパール語、クメール語、ビルマ語、モンゴル語を加えた14か国語による提供を行っています。

多言語による防災気象情報

 また、防災気象情報に使用されている気象用語等の14か国語による訳語をまとめた「多言語辞書」を公開しています。この多言語辞書は、観光庁が監修する外国人旅行者向け情報提供アプリ「Safety tips」においても活用されており、様々な国から訪れる外国人の方々への情報提供に役立てられています。

 気象庁では今後も、外国人を含むより多くの方に防災気象情報が活用いただき、災害発生時等の行動に役立てていただけるよう取り組んでいきます。


トピックスⅢ-2 気候予測データを活用した営農支援

 気象庁では、全国都道府県の農業試験場や普及指導センター、病害虫防除所を始めとした様々な農業関係機関と、農作物の生産や管理における気候情報の活用について意見交換を行ってきました。その結果は、令和元年(2019年)6月に運用を開始した2週間気温予報を始めとする気候情報の改善に反映させるとともに、例えば水稲の収穫適期における刈り取り作業計画の策定や、果樹の開花時期における受粉作業等での人員配置への気候情報の新たな活用につながっています。以下のコラムでは、沖縄県における病害虫発生の監視と予測の現場での活用について紹介します。


コラム 気象情報を利用した害虫対策


 沖縄県農業研究センター農業システム開発班主任研究員
 (前沖縄県病害虫防除技術センター予察防除総括)
 真武 信一


 沖縄県病害虫防除技術センターでは、農林水産省消費・安全局が定める植物防疫関係の要綱・要領に従って、ミカンコミバエ種群及びウリミバエの再侵入防止対策、ゾウムシ類の根絶事業等の「特殊病害虫防除事業」を実施しています。また、さとうきび、野菜類、果樹、水稲などを加害する主要病害虫の「発生時期と量」を予測し、防除の適期や要否を示した病害虫の「発生予察情報」を提供しています。発生予察情報は、農作物の生育にあわせて病害虫の発生状況を把握する定期調査に加えて気象予報等の蓄積されたデータをもとに毎月発出する定期予報と、臨時情報(警報、注意報、特殊報、技術情報)からなっています。これら情報の根拠として、過去の試験研究によって得られた病害虫の発生量と気象との関係に関する知見や積算温度を利用した病害虫の発生時期の予測モデルを用いており、この際に気象庁の1か月予報や平年値等を参考にしています。

 2013年から当県の病害虫防除技術センター予察防除班と地元気象台との対話がはじまり、季節予報の解説や、解釈、気象庁のホームページから入手できるデータの利用方法の助言をいただいています。毎月開催する予察情報作成会議において行われる農業と気象の技術者同士の意見交換の中で、2週間先や1か月間の気温予測データ(確率予測資料)は、当センターのさとうきびの害虫の発生時期に関する情報に活用できることを確認し、それまで行っていた平年値を用いた発生時期の予測の方法を、予測値におきかえることにより、生産現場において防除実施の時期を逸することなく適切なタイミングで情報を発出することが可能となりました。令和元年には、2週間気温予報があらたに運用されたため、病害虫発生予察での活用の広がりや更に先駆的な活用が期待されるところです。

 地球温暖化等を背景にした異常気象によるリスクの増大によって、農作物の生育時期や病害虫の発生時期や量の大幅な変動が懸念され、生産現場ではこれまでに経験したことのない極端な天候による様々な影響に対して的確に対応していくことが求められています。天候が平年から大きく異なる場合に防除適期を適切に予測できることは、病害虫発生予察現場における気温の予測値を用いる手法においても大きな利点となることでしょう。

 今後の技術の進展によって、気象予測が更に高度で高精度になることを期待するとともに、地域の産業振興を支援する重要なツールとして、活用していきたいと考えます。


トピックスⅢ-3  気象データ利活用の進展

 近年のIoT(Internet of Things)や人工知能(AI:Artificial Intelligence)に代表されるビッグデータ解析技術の発展により、多種多量なデジタルデータをリアルタイムで収集・蓄積・分析することが可能となってきています。このような様々なデータと気象データを組み合わせることで新たな価値が創出され、安全・安心や生産性向上を目的とした様々なビジネスの創出や既存のビジネスの強化が可能となります。

 以下のコラムでは、IT企業における気象データを活用した取組について紹介します。


コラム 不確実性の高い分野への気象データ活用の挑戦


 株式会社日立製作所
 サービス&プラットフォームビジネスユニット
 Lumada CoE Scale by Digital推進部
 担当部長 立仙 和巳


 弊社は、“誰もが快適に、安心して、健やかに暮らせる社会をつくりたい”という想いの下、 持続可能な社会のために“経済価値”、“社会価値”、“環境価値”の向上により世の中を支える社会インフラ実現に向け事業を推進しております。

 昨今、「気候変動適応法」の施行や「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)」による報告書 (気候変動のリスク・機会を加味した財務諸表への経営戦略開示)など、気候、気象と経営の関係が密接になり、企業の取り組み自体が企業価値評価に反映される時代となりました。

 日立グループでは、気象データの活用例として、既に日本で恒常化している課題であるゲリラ豪雨や大型台風による気象災害への対策に貢献するソリューションである「リアルタイム洪水シミュレータ『DioVISTA/Flood』」を(株)日立パワーソリューションズより提供しております。

 また、今後の気象データ活用について、人の中に暗黙知として内在している現場ノウハウ(気象データの読み解きや活用方法など)を見える化し、生産性向上に寄与する分野に力を入れていく考えです。 例えば、工場向け設備運用ソリューションでは、季節の転換期(春から夏(冷房)、秋から冬(暖房))に工場内に外気を取り入れるエネルギーマネジメント分野に気象データ活用ノウハウを取り入れてサービス化しております(フリークーリング)。

 更に将来に向けた新しいサービスとして、弊社は2019年12月に“インフルエンザ予報(感染症)”というトライアル事業を発表しました。感染症の予報という不確実性が高い分野ではありますが、気象データを活用した更なるサービス向上にチャレンジしていく方針です。


トピックスⅢ-4 AIを用いた竜巻等突風の自動探知・進路予測技術の研究開発

 日本では近年、竜巻発生確認数は毎年20件を超えており、竜巻を素早く的確に捉え危険を回避するための気象予測は、気象災害を減らす上で重要な技術です。

 空間スケールが小さくかつ急激に発達するために捉えにくい竜巻を早期に探知し、防災や減災を実現するためには、数分で起こっている上空の気流の様相-竜巻に伴う渦パターン-をドップラーレーダーの観測から正確かつ迅速に把握する必要があります。ただし、特に、夏季の竜巻は活発な対流を伴う積乱雲に伴って発生し、周囲に竜巻と紛らわしい多様なパターンが見られることから、渦パターンを正確に把握するためには、①竜巻渦と紛らわしいパターンの除外、 ②竜巻渦のパターンの抽出、の2つが必要となります。これらは、人間の目では見分けがつくものの、定式化した数学モデルに当てはめ一定のしきい値を設け処理する従来の方法では、片方を優先するともう片方が悪くなる、というトレードオフの関係にあり、両者を同時に満たすことは難しいことがわかっています。このため、AI技術の中で特に画像認識分野での実用化が急速に進んでいる深層学習を利用してこれらを判別する方法を開発しています。 深層学習の利用が進めば、竜巻の被害軽減に資するだけではなく、気象衛星ひまわり等における観測への応用にもつながり、従来より精度の高いかつ迅速な防災気象情報の確立が期待されます。

竜巻をもたらす可能性のあるレーダーパターン例

開発する技術のイメージ

トピックスⅢ-5 気象科学館がリニューアルオープンします

 令和2年(2020年)に気象庁本庁庁舎は現在の東京都千代田区大手町から港区虎ノ門に移転します。これに併せて、庁舎移転先である港区との複合施設内に気象科学館がリニューアルオープンします。今回、新しい気象科学館に一足先にお邪魔してきましたので、その模様をレポートします。

編集部(以下、編集):広報室長、今日はよろしくお願いします。

広報室長(以下、広報):よろしくお願いします。

編集:新しい建物できれいですね。天井も高くて大手町の気象科学館よりずっと明るくて広くなった感じがします。

広報:ありがとうございます! たくさんの方に来ていただきたいと思っています。

編集:地上14階、地下2階、延床面積約43,000平方メートルの鉄筋コンクリート造りで、この建物の2階に今回リニューアルオープンしたのが気象科学館なんですよね!同じ建物に港区立みなと科学館もオープンするので、両方をいっしょに回ることで楽しみながら科学を学べるんですよね。

広報:そうなんです。直径15メートルのプラネタリウムもあります。ぜひこれら3つとも見て、感じて、たくさんの学びを体験していただきたいと、港区も気象庁もそろって願っています。

編集:気象科学館がある2階に来ました。気象科学館に入っていきましょう!

入口を入り、少し進むとまず大きな円柱上のディスプレイが現れます。

編集:室長、なんというか……巨大ですね。すごい迫力です。これは何でしょうか。

広報:これは「うずまきシアター」と言いまして、日本の四季の気象現象やメカニズムを最新の映像技術を用いて臨場感たっぷりに紹介する360度体験シアターなんです。

編集:日本の四季ですか。外国人の方に見ていただくのも良さそうですね。東京の新しい観光名所になったりして。ワクワクするなあ。

広報:そうですね、外国の方にも是非来場いただきたいです。

うずまきシアター

ウェザーミッション ~キミは新人予報官~

 さらに奥に進むと天気図や気象レーダー画像が映ったディスプレイが目に入ってきます。

編集:これは普段、予報の現場でよく見ますね。「あなたも予報官」みたいなコーナーでしょうか。

広報:そのとおりです。ある街に災害のおそれが迫っている、といったシナリオのもと、予報官が行う様々な判断を自ら体験しながら防災気象情報を学んでいただく予報官体験コンテンツです。予報官が普段どんな資料を見て予報を考えているのか、雰囲気だけでも感じていただければと思います。そして気象に少しでも興味を持ってもらえるとうれしいです。

編集:室長、最後に一言お願いします。

広報:はい。リニューアルオープンする気象科学館では、今日ご紹介した新しいコンテンツの他にも、津波シミュレーターや竜巻発生装置など、従来の科学館にあった展示物も引き続き展示します。日本では毎年のように自然災害が起こっています。いざという時、ご自身やご家族の命を守るためにも、社会全体で「防災・減災」への意識を高めていくことが大切です。この新しくオープンする気象科学館で気象の世界の一端を体験いただき、子供から大人まで、多くの方に防災・減災への理解を深めるきっかけにしていただきたいと思っています。みなさんのご来場をお待ちしています。

編集:ご来場お待ちしています!室長、今日はどうもありがとうございました。

気象科学館  東京都港区虎ノ門3丁目6-9 開館時間 午前9時~午後8時 休館日 毎月第2月曜、年末年始(12月29日~1月3日)、臨時休館日あり 入場無料


コラム この秋、気象庁は港区虎ノ門に移転します

 今秋、気象庁(本庁庁舎)は現在の千代田区大手町から港区虎ノ門へ移転します。気象庁本庁の移転は昭和39年(1964年)以来56年ぶりとなります。また、今回の移転先となる虎ノ門は、明治8年(1875年)に気象庁の前身である東京気象台が我が国の気象業務を開始した気象庁にとって縁のある場所であり、約140年ぶりに戻ることになります。新しい庁舎は港区立教育センターとの複合施設となっており、リニューアルする気象科学館と港区立みなと科学館も併設されています。 半世紀以上を過ごした大手町を離れることになりますが、この地で先人たちが築き上げてきた歴史を引き継ぎ、気象庁は虎ノ門の地で新しい歴史を刻んでいきます。

気象庁の所在地変遷

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