特集 交通政策審議会気象分科会提言を受けた今後の取組~「新たなステージ」に対応した防災気象情報と観測・予測技術のあり方~
1 はじめに
我が国では、近年、集中豪雨や台風等による被害が相次いで発生しています。その中で、平成26年8月20日には、広島県広島市において積乱雲が次々と発生し、複数の積乱雲が連なる線状降水帯が停滞して集中豪雨となり、この雨による土砂災害で死者75名の人的被害が発生しました。また、平成27年9月にも関東地方及び東北地方で集中豪雨となり、5日間で9月の通常の降水量の2倍を超える記録的な大雨となったところがありました。
このように、1時間降水量が50ミリ以上の非常に激しい雨が各地で頻発するなど、この数年雨の降り方が局地化、集中化、激甚化しています。この状況を「新たなステージ」と捉えて、国土交通省は平成27年1月に『新たなステージに対応した防災・減災のあり方』をとりまとめました。これを受けて、交通政策審議会気象分科会では、気象庁がこのような状況において防災・減災のために取り組むべき事項について審議を行い、同年7月に気象庁への提言として「『新たなステージ』に対応した防災気象情報と観測・予測技術のあり方 」をとりまとめました(以下「提言」という)。
気象庁は、この提言を受けて、防災気象情報の改善や観測・予測技術の向上に取り組むとともに、自治体への支援や住民の安全確保行動のための普及啓発の取組を進めていくこととしています。ここでは提言の内容と気象庁の取組について紹介します。
2 防災気象情報の更なる活用に向けた取組
(1)防災気象情報に関する現状と課題
ア.集中豪雨による災害への対応
提言では、平成26年8月20日に広島市で土砂災害が発生した際に発表した一連の防災気象情報について以下の4つの課題が挙げられています。
【課題1】 夜間の避難を回避するため、確度が高くなくとも警報級の現象になる可能性があることなど、早い段階から一段高い呼びかけの実施ができないか。
【課題2】 実況情報をより迅速に発表していくことができないか。
【課題3】 避難勧告等の対象範囲の判断を支援するため、メッシュ情報の充実や利活用の促進が必要ではないか。
【課題4】 今後予想される雨量等の推移や危険度を、より分かりやすく、より確実に提供できないか。
イ.台風などによる災害への対応
さらに、提言には、広範囲に甚大な災害をもたらす台風などに対する課題も挙げられています。
【課題5】 台風等を想定したタイムラインによる防災対応を支援するため、数日先までの予測に関する防災気象情報の提供の強化が必要ではないか。
(参考)タイムライン(時系列の防災行動計画)とは、台風などによる甚大な被害を回避するためには、事前の住民の広域避難や救助等の備えを充実することが望ましく、この事前の対応を円滑に行うため、行政機関等の関係者間で「いつ」「誰が」「何をするか」を時間軸に沿って整理したしたものです。タイムラインでは、台風が来る数日前からの対応が決められるため、その対応を支援できるよう、数日先までの予測をより充実させた防災気象情報の提供が重要になります。
(2)防災気象情報のあり方
提言は、防災気象情報の改善に向けた2つの基本的方向性
①社会に大きな影響を与える現象について、可能性が高くなくとも発生のおそれを積極的に伝えていく
②危険度やその切迫度を認識しやすくなるよう、さらに分かりやすく提供していく
を示したうえで、上記(1)で示した課題1~5への対応策の実施を求めています。
【対応策1】翌朝までの「警報級の現象になる可能性」の提供
極めて大きな被害をもたらす集中豪雨などは社会的な影響が大きいことから、集中豪雨が発生する可能性が高くない場合も含めて、夜間から早朝における発生のおそれを「高」や「中」といった確度で、夕方の時点で発表することを求めています。
【対応策2】実況情報の提供の迅速化
住民の命を守る行動をいち早く促すため、記録的短時間大雨情報の発表を迅速化することを求めています。
【対応策3】メッシュ情報の充実、利活用促進
気象庁は現在、降水や土砂災害発生危険度等のメッシュ情報を提供していますが、気象庁ホームページ上でこれらを表示する際に、道路、河川、鉄道などの情報を重ねて分かりやすくすることや、メッシュ情報の種類をさらに増やすこと、また、メッシュ情報と土砂災害警戒区域等の危険箇所を重ね合わせる利用法を気象庁から市町村に紹介するなどの利活用の促進を求めています。
【対応策4】雨量等や危険度の推移を時系列で、危険度を色分けして分かりやすく提供
現在、警報などの防災気象情報は主に文章で発表していますが、これに加えて、注意報クラスや警報クラスの雨になる時間帯を表形式で視覚的に分かりやすい形で提供することを求めています。
【対応策5】数日先までの「警報級の現象になる可能性」の提供
現在、数日先までの防災気象情報として、5日先までの台風進路予報、台風の暴風域に入る確率、週間天気予報などを発表していますが、雨について数日先までの危険度を知らせる情報は十分ではありません。タイムラインによる防災対応を支援するため、対応策1で求められている「警報級の現象になる可能性」を、数日先の雨などについても提供していくことを求めています。
3 「新たなステージ」に対応した防災気象情報の具体的な改善内容
以下では、交通政策審議会気象分科会の提言を受けて気象庁が進める、「新たなステージ」に対応した防災気象情報の改善について紹介します。
(1)翌日までの「警報級の可能性」の提供[平成29年度~]
警報級の現象は、ひとたび起これば社会的に大きな影響を与えることから、たとえ可能性が高くないと予想される状況であっても、警報級の現象の発生のおそれを「警報級の可能性」として[高][中]といった2段階の確度で提供していきます。この情報は、定時の天気予報の発表(毎日05時、11時、17時)に合わせて、天気予報の対象地域と同じ発表単位(○○県南部など)で発表します。
これにより、例えば、夕方17時の天気予報の発表に合わせて、翌朝までの「警報級の可能性」が確認できるようになりますので、市町村など防災関係機関において、対応が困難な夜間から早朝の避難の可能性を考慮した通常より一段高い体制確保などの判断に用いることができます。
(2)実況情報の提供の迅速化[平成28年度~]
気象庁では、現在の降雨がその地域にとって災害の発生につながるような稀にしか観測されない雨量に なっていることを、危機感を持って伝えるために「記録的短時間大雨情報」を発表しています。この情報は 現在30分間隔で雨量算出処理を行っています。これを、速報性を重視して10分間隔とし、さらに、算出の所要時間も10分間短縮することで、記録的短時間大雨情報をこれまでより最大で30分早く発表いたします。
これにより、土砂災害や浸水害について、大雨注意報・警報などで段階的に報じられる危険度の高まりに加えて、実際に記録的な大雨が降り、状況がさらに悪化したという実況をいち早く伝えることが可能となります。危険な状況であることを1分でも早く伝えることで、危険箇所等にお住まいの方が、緊急に避難場所や安全な場所に移動する、それが困難な場合には、頑丈な建物の2階以上の少しでも安全な部屋等へ退避(垂直避難)するなど、安全確保行動をより迅速にとることができるようになります。なお、速報性を重視する分、算出に用いる地上の雨量データ数が限定されるなどの技術的課題があります。迅速化とともに、精度が確保されるよう慎重に検討・確認を行っています。
(3)メッシュ情報の充実・利活用促進
気象庁では、危険度の高まりを伝える「気象警報」等を受けた市町村職員や住民が、危険度の高まっている地域を「警報等を補足するメッシュ情報」により把握できる仕組みを推進することで、市町村長の避難勧告等の判断の支援や住民の主体的避難の促進を図っていきます。特に、土砂災害のメッシュ情報については、市町村等が公表しているハザードマップなどで示された警戒区域等と重ね合わせることで、避難勧告等の発令区域の絞り込みなどに活用する考え方が、「避難勧告等の判断・伝達マニュアル作成ガイドライン」(内閣府)により示されています。気象庁が発表する「土砂災害警戒判定メッシュ情報」等についても、関係機関と連携・協力して、そのような活用を推進しています。
ア.土砂災害警戒判定メッシュ情報の分かりやすい表示[平成28年度~]
大雨警報(土砂災害)等を補足するメッシュ情報(土砂災害警戒判定メッシュ情報)について、危険度の高 まっている区域が分かりやすく伝わるよう、メッシュ情報に道路・鉄道・河川等の身近な地理情報を重ねて表示するよう改善します。これにより、自分のいる場所の危険度が分かりやすくなりますので、自らの地域に土砂災害による命の危険が切迫していることを、これまで以上に自分のこととして捉えられるようになります。
イ.大雨警報(浸水害)・洪水警報を補足するメッシュ情報の提供[平成29年度~]
大雨警報(土砂災害)の発表基準に、災害発生との相関の高い指数「土壌雨量指数」を用いている(P50参照)のと同様に、大雨警報(浸水害)についても、地形、土地利用など、その土地がもつ雨水のたまりやすさの特徴を考慮して、降った雨による浸水害発生の危険度の高まりを表現した指数「浸水雨量指数」の開発を進めており、この指数を発表基準に導入することで大雨警報(浸水害)の適中率の改善を図っていきます(P124参照)。
また、洪水警報については現在でも、河川の上流で降った雨による洪水危険度の高まりを示す指数「流域雨量指数」を発表基準に用いていますが、危険度の高まりをよりきめ細かく計算して精度向上を図るため、「流域雨量指数」の計算格子を現行の5kmメッシュから1kmメッシュに細かくします。さらに、計算格子を細かくするのに合わせ、現行の「流域雨量指数」が長さ15km以上の河川(約4千河川)に限定して計算しているものを、小河川も含めた全国の河川(約2万河川)を対象として計算するように対象河川を拡大します。これらの改善を実施することで、洪水警報の適中率の改善を図っていく予定です。
さらに、「浸水雨量指数」及び「流域雨量指数」を活用して、災害発生の危険度分布を地図上に図示した 「大雨警報(浸水害)・洪水警報を補足するメッシュ情報」の提供を計画しています。このメッシュ情報により、大雨警報(浸水害)や洪水警報が発表されたときに、警戒が呼びかけられている市町村内で、実際に災害発生の危険度が高まっている地域が分かりやすく表示され、自らの地域に迫る危険の詳細を把握できるようになることが期待できます。
(4)時系列で危険度を色分けした分かりやすい表示(気象警報・注意報発表時)[平成29年度~]
気象庁では、これまで、気象警報・注意報の内容は文章形式での表示を行ってきましたが、利用者が危険度や切迫度を即座に認識しづらいことなどが課題でした。これに対処するため、警報等の文中に記載してきた事項(注意警戒が必要な現象や期間、現象がピークになる時間帯、雨量や潮位などの予想最大値など)について、どの程度の強度(危険度)の現象がどのくらい先の時間帯(切迫度)に発現すると予想されるかを分かりやすく伝えられるよう、視覚的に把握しやすい時系列の表形式で、危険度を色分けして表示する改善を行う計画です(従来の文章形式による表示も継続します。)。また、警報への切り替えに言及した注意報について、通常の注意報と視覚的に区別できる表示に改善します。
これにより、気象警報・注意報で発表する危険度や切迫度が視覚的に分かるようになり、自らの地域に迫る危険の詳細を素早く把握できるようになります。
(5)数日先までの「警報級の可能性」の提供[平成29年度~]
台風等を想定したタイムラインによる防災対応を支援するため、(1)で記載した「警報級の可能性」を数日先の雨などについても提供していきます。この情報は、明後日から5日先までを対象とし、週間天気予報の発表(毎日11時、17時)に合わせて、週間天気予報の対象地域と同じ発表単位(○○県など)で発表します。
この情報を活用することで、市町村等の防災機関や公共交通機関などで、より早い段階から計画的に対応等の判断を行うことができるようになります。
コラム
■気象キャスターとしてできること
交通政策審議会気象分科会臨時委員(NPO法人気象キャスターネットワーク代表)
藤森 涼子
今年度の気象分科会で臨時委員を務めさせて頂きました。分科会の委員は2度目となりますが、特に今回は特別な思いでお引き受け致しました。審議は「新たなステージに対応した防災気象情報と観測・予測技術のあり方」。平成26年の広島の土砂災害がきっかけとなってこのようなテーマとなったからです。
私は広島の災害が発生した夜、民放のニュース専門チャンネルで生放送を担当していました。放送前にデータを確認した際、広島に小さいけれど発達した雷雲の塊を発見して、急遽放送のメニューを変更し、広島の雷雲の解説を中心に放送しました。通常は全国の予報を伝えていますので、全国のことを網羅するように解説しているのですが、そのときは広島のレーダーが非常に目立ったので、そこを中心とした解説にしたのです。広島のあの日は湿った空気が入りやすく大気の状態が非常に不安定で、大雨が降りやすいということは気象予報士として理解していましたし、予報や情報も確認し、放送では実況を中心に解説をしました。放送後も規模は小さいけれど尋常では無い位密集した雷雲がどうも気になり、帰宅途中、広島の友人の気象キャスターに直接連絡し状況を確認しました。「さっきまですごい雷雨だったけど、今、ちょうど収まってきた」という話だったので、それならよかったと会話を終え帰宅し、そのまま就寝。そして翌日起きてニュースを見て衝撃を受けました。しばらく声も出ないほどのショックでした。ですから広島の災害については、遠い広島の地で起きたことでも、私にとっては自分の身近で起きた非常に身近なショッキングな出来事だったのです。今も私は、私が放送していた時点で何ができたのかを自問自答しながら気象情報を担当しています。
私が代表を務めているNPO法人気象キャスターネットワークでは、全国各地のキャスターがそれぞれの地域で防災の出前授業やイベントを行い防災知識の普及啓発活動を行っています。この活動は気象災害の軽減に今すぐ直結するような活動ではないかもしれません。「ペットボトルで雲を作ったり、雨粒の形を知ったところで自然災害で亡くなる人の数は変わらないのでは?」と言われたこともあります。ただ、身近で気象災害が起こりそうなとき逃げるきっかけとなるのは「いつもとは違う、何か違う」という危機意識ではないでしょうか?「いつもと違う」という事を感じるには、「いつも」の状況を知っておくことが必要です。そして私達の防災教育はその「いつも」を知るきっかけになると思っています。危機意識を持ってもらうための本当に小さな「種まき」ですが。
そして、今回の提言をきっかけに気象庁の防災情報は変わります。この情報をわかりやすく伝えるのも気象キャスターの役目です。
「防災教育」と「正しくわかりやすく伝えること」気象キャスターだから出来ることをこれからも私達の使命として気象災害の軽減に向けて取り組んで行きたいと思います。
コラム
■様々な防災教育プログラムを活用した安全知識の普及啓発の展開
気象庁は、気象情報や自然現象から、住民が自らの判断で状況に応じた的確な行動をとることのできるような防災意識の醸成を目指し、安全知識の普及啓発に重点的に取り組んでいます。
それらの取組の一つとして、気象庁では、「気象庁ワークショップ『経験したことのない大雨 その時どうする?』」という防災教育プログラムを開発・公開しています。このプログラムは、グループワークを通して、自らの問題として日頃からの備えや適時適切な防災気象情報の入手とその情報を活用した安全行動を事前にシミュレートする能動的な学習方法であり、平成27年度は全国で109件実施されました。
一例を挙げますと、宮崎地方気象台と宮崎県教育庁が連携し、学校安全指導者研修会(宮崎県教育庁主催)において宮崎県内の公立学校(小・中・高・支援学校等)422名の教員に、気象庁ワークショップを実施していただきました。この経験を通して、教員自身が災害から身を守る知識を習得していただくだけでなく、教育現場においてこのプログラムを実践していただき、児童・生徒にも災害から身を守る知識を習得してもらえるよう、教員が安全知識の普及啓発の担い手として活躍してもらうことを期待しています。このワークショップでは活発なディスカッションが行われ、大盛況のうちに終えることが出来ました。実施後のアンケートで「気象庁ワークショップを防災学習に取り入れたいか?」と尋ねたところ、「何らかの形で取り入れたい」と回答した割合が4分の3に上りました。
この他、全国各地の児童・生徒にもワークショップを体験していただいており、災害が意外に身近で起きるものであること、いつかは起こる自然災害に対する備えが必要なことを感じていただいています。
このワークショップ以外にも各地の気象台では、地域の実情やニーズに応じて、学校教育現場で使用する副読本や指導案の作成支援の他、教材等を作成・公開し、それらの普及を図っているところもあります。
今後も様々な関係機関と連携・協力しながら、これらのツールを活用するなど、様々なアプローチで安全知識の普及啓発に取り組みます。
4 気象観測・予測技術向上に向けた取組
気象庁は、最新の科学技術を取り入れつつ、防災気象情報を作成・提供していますが、防災気象情報には、分かりやすく、迅速かつ高い精度が求められます。この要請に応えていくためには、観測予測技術の向上が不可欠であり、中長期的な視点を持って継続的に取り組む必要があります。
提言は、大きな気象災害をもたらす要因となっている「積乱雲」、「集中豪雨」、「台風」について、それぞれに関する観測・予測技術の現状と課題を確認したうえで、最適な観測手段と技術向上に向けて取り組むべき方向性を示しています。加えて、関係機関との連携促進、スーパーコンピュータシステムや通信ネットワークなど気象庁の業務基盤の維持・機能向上、研究・開発に携わる人材の育成・強化についても、研究からその成果の実用化までを担う気象庁の総合力を発揮しつつ取り組むべき、としています。
(1)積乱雲
ア.気象観測・予測技術の現状、課題と方向性
気象庁は、全国に20基整備されている気象レーダー等により、積乱雲や、積乱雲により発生する大雨、雷の状況を5分間隔で監視しています。また、平成27年7月7日より「ひまわり8号」の運用を開始しました。ひまわり8号は、7号と比較して、観測の空間分解能が2倍になり、観測する画像の種類が5種類から16種類に増加したほか、日本付近を2.5分毎に観測できるようになるなど、大幅に観測機能が向上しました。これにより、発達中の積乱雲を従来よりも詳細に監視できるようになりました。図に示す2.5分毎の観測画像を見ると、積乱雲が発達する様子がよくわかります。
一方、現在の予測技術では、局地的な大雨をもたらす積乱雲が県内のどこかで発達しやすい気象状況になることは数日前から予測することができますが、1つ1つの積乱雲がいつ、どこの市町村で発達するかを数時間前に予測することは困難です。また、積乱雲により発生する竜巻などの突風は極めて狭い範囲で発生するため、今の気象庁の観測機器や技術では監視することが困難な状況です。
提言は、これら現象の把握が難しい竜巻や突風をもたらす積乱雲に関する取り組みの方向性として、新しい気象衛星ひまわり8号の高頻度・高解像度の観測データを十分に活用して、積乱雲が急速に発達する状況を監視する技術などを向上させていくことが必要としています。また、近年、技術開発が進んでいる二重偏波レーダー(降水粒子の状態がより正確に把握でき、降水強度の観測の向上が可能となるもの)や気象研究所において利用研究が進められているフェーズドアレイレーダー(高速・高解像度な三次元観測が可能となるもの)といった次世代の気象レーダーについて全国に展開できるよう技術開発に取り組むとともに、次世代気象レーダーを活用した1時間先までの予測(各種ナウキャスト)の技術の高度化も進める必要があるとしています。
イ.気象観測技術向上の取組
気象研究所は、局地的大雨や竜巻などの激しい大気現象について、現象の理解と防災情報の高度化を目的とし、平成27年7月にフェーズドアレイレーダーの研究運用を開始しました。従来のレーダーでは、360度の空間を立体的に観測するために、アンテナの角度を上下に変える必要があり、5~10分の時間がかかっていました。一方、フェーズドアレイレーダーは電子スキャンという手法を用いることで、わずか30秒で隙間なく観測することができます。そのため、短時間に次々と変化する現象を、初めて立体的に連続的に捉えることが可能になりました。右図は気象研究所のフェーズドアレイレーダー(茨城県つくば市)による激しい雷を伴った成熟期の積乱雲の内部の観測例です。30秒間隔のアニメーションで見ると、地上から高さ3~8kmにある降水のかたまり(降水コア)が西風に運ばれながら落下するとともに、低層の東風による向かい風を受けて大きく湾曲し、上部が前方にせり出す構造へと変形する様子がとらえられています。この低層の向かい風によって地上への雨滴の落下が遅れ、その結果として、つくば市で急激な強雨が観測されました。このレーダーの高速スキャン機能を用いて、上空から落下する降水コアを時々刻々と追跡することによって局地的大雨を短時間予測するといった新しい防災技術への応用が大いに期待されます。
(2)集中豪雨
ア.気象観測・予測技術の現状、課題と方向性
集中豪雨は、積乱雲が次々と発生・発達を繰り返すことにより、総雨量が百~数百ミリに達する大雨となり、土砂災害や家屋浸水等の重大な災害を引き起こします。現在、積乱雲の状況は、気象レーダーや気象衛星などにより監視をしています。そして、これらの観測データを活用して、数値予報により雨などを予測しています。近年の数値予報技術の向上により、低気圧や前線、ある程度規模の大きい線状降水帯に伴って、どの地方で集中豪雨が発生しやすい気象状況になるかを数日前に予測できるようになってきましたが、集中豪雨をもたらす線状降水帯のメカニズムは十分に解明されていないため、集中豪雨がいつ、どこで発生し、どのくらいの雨量になるかを精度よく予測することは困難な状況です。
提言は、集中豪雨に関する取り組みの方向性として、集中豪雨をもたらす線状降水帯のメカニズムを解明するため、その形成に大きく関係している水蒸気の監視技術を高度化するとともに、数値予報の高度化に着実に取り組む必要があるとしています。
イ.気象観測・予測技術向上の取組
気象研究所は、水蒸気の監視技術に関する研究を行っています。具体的には、GPS等測位衛星を利用して、海上の水蒸気量を高い精度で捉える方法、ビル等の固定物で反射された気象ドップラーレーダーの電波の位相情報※1を利用して都市域の水蒸気量を高い精度で捉える方法、ライダー※2を利用して水蒸気の鉛直分布量を連続的に把握する方法について研究を進めています(「気象業務はいま2015」第1部第2章第2節「2.新しい観測・予測技術」を参照)。これらの新しい観測技術を将来実用化することによって、気象災害をもたらす集中豪雨の予測精度が向上するものと期待されています。
※1 位相情報:水蒸気の量などにより電波の速度が変化する原理を利用する情報。
※2 ライダー:レーザー光を利用した測定装置。
コラム
■平成27年9月関東・東北豪雨における線状降水帯の発生
平成27年9月9日から11日にかけて、関東地方から東北地方の広い範囲にもたらされた大雨は、台風第18号の東側に存在していたアウターレインバンド※1から変化した、幅100~200kmの南北に伸びた降雨域の中で発生した、多数の線状降水帯(幅20~30km、長さ50~100km)によって引き起こされました。 気象研究所での調査の結果、これらの線状降水帯が発生した主な要因として、
① 大気下層に湿った空気が持続的に流れ込んでいたこと
② 上空に強い南風が存在していたこと
③ ②の強風域に伴う上昇気流によって上空の空気も湿っていたこと
であることが分かりました。この期間、日本海及び太平洋に、台風第18号とその台風から 変わった温帯低気圧や、台風第17号が存在しており、大気下層では大量の水蒸気が南東から 流入し続けていました。そして上空では、西日本に、南北に伸びるように存在した気圧の谷の東側で強い南風が卓越し、その強風域に伴う上昇気流によって上空の空気が湿っていました。これらの条件が継続したことにより、多数の線状降水帯が発生し、大雨をもたらしたと考えられます。
これらのことから、大気中の水蒸気分布を監視し、特に下層の湿った空気の流入をいち早く捉えることで、このようなメカニズムで発生する大雨の予測精度向上が期待できます。
※1 アウターレインバンド:台風中心から200km~600km外側にある降水帯のこと。
次に、気象庁が取り組む数値予報の高度化について紹介します。数値予報とは、スーパーコンピュータ等で、大気状態(気温・風・水蒸気など)の時間変化を物理法則に基づいて計算し、将来の大気状態を予測する技術です(第2部第1章参照)。スーパーコンピュータ上で計算を開始する大気状態の出発点(初期値)は実際の大気状態と誤差があり、その誤差は予測時間とともに増大します。このような性質を利用して、初期値をわずかにずらした複数の初期状態から同時に計算を行い、この複数の計算結果から最も起こりやすい現象や現象の起きる確度を予測します。これをアンサンブル予報技術といいます。
この技術はすでに規模の大きな現象に関する予測(台風予報や週間天気予報、季節予報等)に導入されていますが、これを集中豪雨等の局地的な現象に関する予測にも導入する計画です。具体的には、日本付近を水平格子間隔5kmできめ細かな計算を行うメソモデルを基にしたメソアンサンブル予報システムの運用開始を目指します。
図は開発中のメソアンサンブル予報システムによる予測結果の例です。少しずつ条件を変えた10通りの初期値から計算した結果を示しています。従来の単一の計算では難しかった降水分布の予測について、10個の計算を行うことでより実況に近い分布(上段一番左、下段中央など)も予測されていることがわかります。
アンサンブル予報技術の導入により、可能性のある複数通りの予測を想定できることで、予測される状況の幅や信頼度の把握が可能となります。これにより、確度の高低に応じた適切な防災気象情報の発表や、可能性が低くても警報級の現象になる可能性があることをより客観的に言及できるようになります。これら防災気象情報の高度化に向けて、メソアンサンブル予報システムの開発や予測資料の有効な活用技術の開発をそれぞれ進めています。
(3)台風
ア.気象観測・予測技術の現状、課題と方向性
台風は、それ自身によって、また梅雨前線など他の現象との相互作用によって、暴風や大雨、高波や高潮、土砂災害、洪水など様々な災害を引き起こします。このため、的確に防災対応を行うためには、正確な台風の進路と強さの予測、さらに関連して生じる様々な現象の的確な予測が必要です。気象庁の台風の予測精度は世界的にも高いレベルにありますが、1日で数十ヘクトパスカルも中心気圧が低下するような、急発達する台風のメカニズムは十分に解明されておらず、中心気圧の予測が特に課題となっています。また、タイムライン(時系列の防災行動計画)に沿った早めの防災活動を支援していくためには、台風に伴う大雨、暴風、高波、高潮などの顕著現象を数日前から精度よく予測することが求められますが、予測時間が長くなるほど予測精度が低下してしまうことが課題です。
提言は、台風に関する取り組みの方向性として、台風の中心気圧や最大風速などの予測の延長と進路予報の精度向上に取り組む必要があるとしています。また、雨量の予測を延長するための技術開発や、台風による高潮発生の可能性を地域毎に確率的に評価する手法を開発すべきであるとしています。
イ.予測技術向上の取組
気象庁は、台風の強度予報技術の向上のために、数値予報モデル等の改善・開発に取り組みつつ、海面水温など台風の発達に影響する環境場をふまえて予測する手法を開発して、平成30年の台風シーズンから台風の強度予報を5日先まで延長することを目指します。また、台風の進路予報についても、数値予報モデル等の改善とその効果的な活用を通して、一層の精度向上に取り組みます。
これらに加えて、台風に伴う大雨や高潮等による被害軽減のために、降水量の予測精度を向上させ、降水量の予測を現在の24時間先(または48時間先)から2~3日先まで延長できるよう、数値予報を中心とした技術改善を進めていきます。また、高潮情報の改善として、アンサンブル数値予報を活用し、台風の進路・強度予報の不確実性を踏まえて、高潮の発生を確率的に予測するなど情報の高度化を図ります。
5 おわりに
気象庁は、自然現象を常に監視・予測し、的確な防災気象情報を提供することによって自然災害の軽減、国民生活の向上、交通安全の確保、産業の発展などを実現することを任務としています。これらの実現には、気象庁が発表する情報が国民、市町村、や都道府県等の利用者のもとに届き、的確に使っていただくことが必要です。
気象庁では、提言を受け、防災気象情報の改善と観測・予測技術の向上を進めるとともに、防災気象情報の利活用の促進や安全確保行動に資する普及・啓発活動に取り組んでまいります。
コラム
■より良い防災気象情報の提供に向けての期待
交通政策審議会気象分科会長(東京大学大気海洋研究所教授)
新野 宏
最近5年間を振り返って見ると、平成23年の新潟・福島豪雨や台風12号による紀伊半島の豪雨、平成24年の九州北部豪雨、平成25年の台風26号に伴う伊豆大島の土砂災害、平成26年の広島の土砂災害、平成27年の関東・東北豪雨による鬼怒川等の氾濫、と毎年大きな豪雨災害が起きています。これら個々の豪雨を直接地球温暖化と関連付けて議論することは科学的には難しいですが、過去数十年から100年の間に強い降水の頻度が緩やかに増えてきたことは観測データからも示されています。今後の防災は、従来の降水特性に基づいて作られた河川の堤防などのハード面に頼るだけでなく、ソフト面でも可能な限りの対策を取っていく必要があります。
後者で重要な役割を果たすのが、防災気象情報を提供する気象庁です。平成27年7月に出された交通政策審議会気象分科会の提言では、現在の技術レベルにおける工夫で比較的短期間に実現できる防災気象情報の改善と、長期的な防災気象情報の改善に寄与する観測・予測技術の開発についての方向性が示されました。
一口に豪雨と言っても、そのしくみは多様で、充分前から比較的精度良く予測されるものから、直前まで予測が難しいものまで様々です。しかし、最近の一連の豪雨災害で明らかになってきたことは、たとえ防災気象情報が適切に発表されていても、必ずしも有効に活用されず、人的災害が防げなかった事例が少なからずあることです。提言では、社会的影響の大きな現象に対しては可能性が高くなくとも発生の恐れを積極的に伝えること、危険度や切迫度が認識しやすい情報提供を行うことの必要性が指摘されています。
提言を受けて、気象庁ではよりわかりやすく、きめ細かな情報の表示や、迅速な情報提供など様々な改善を実施しつつありますが、重要なのは、これらの改善された情報を地方自治体や一般市民にいかに有効に活用してもらうかです。気象庁でも、地方気象台を中心に、地方自治体等と協力して、普及啓発の努力をしていますが、なお一層の努力が必要です。特に、災害はいつどこで出会うかによって身を守るための対策が異なるので、日頃から一般市民1人1人が、自分のいる場所の「災害に対する脆弱さ」を認識し、現象が起きたときに適切な対応ができる姿勢を身につけてもらうための支援が肝要です。地方自治体による土砂災害警戒区域等の指定や公開は必ずしも順調に進んではいませんが、近年は国の内外からの旅行者も増えていることから、地方自治体では現時点で把握している土砂災害の危険性のある地域を、気象庁の提供するメッシュ情報(雨量や土壌の状態を1~5キロメートル四方の領域(メッシュ)として地図上に表示する情報)に一足早く組み合わせてメッシュ情報として発表できるように工夫し、誰にでも迅速な対応ができるように活用してほしいものです。
一方、将来に向けて、より正確で不確定性の少ない防災気象情報を出していく努力も必要です。多くの先進国では、防災機関と大学・研究機関の密接な協力のもとに、より精度の高い観測手法や数値天気予報モデルの開発が進められています。気象庁はこれまで、技術官庁としての実力を発揮して自前で観測手法や数値天気予報モデルの開発を行い、優れた気象業務を展開してきました。しかし、世界でしのぎを削る最先端の競争を勝ち抜くためには、防災気象の分野においても、大学・研究機関と密接な協力体制を構築し、総力を挙げて研究・開発を行って行くことが不可欠と思われます。気象庁でも、この点を認識し、数値予報研究開発プラットフォームや気象研究コンソーシアムなどの仕組みを設けてはいますが、モデルやデータの相互利用や人材の交流は必ずしも充分に進んでいるとは言えません。世界との競争を勝ち抜くという大きな視野を持って、様々な工夫をして実効的な協力体制を充実していくことが大切です。
観測面では、高時間・空間解像度の観測を行う静止気象衛星「ひまわり8号」、全国に配備されているドップラーレーダーや羽田・関西空港に配備された二重偏波ドップラーレーダー、気象研究所に導入されたフェーズドアレイドップラーレーダー、多様な水蒸気観測機器などのデータを、現象のメカニズム解明や数値天気予報の精度向上にどう活かして行くかの研究開発が必要だと思います。
また、予報面では、数値天気予報モデルの高解像度によって必要になる様々な物理過程のモデル要素の開発、新しい観測機器のデータを使って数値天気予報モデルの初期値を高精度化するデータ同化手法の研究、大気運動のカオス性に根ざした予測の不確定性を評価するアンサンブル予報手法の開発が重要です。
集中豪雨や竜巻は、数値天気予報モデルの精度がいかに向上しても、大気固有の性質として、初期値の僅かな違いによって予報結果が大きくばらつくため、将来的にもその予報は「何月何日何時からの6時間に150mm以上の降水が30%の確率で起きると予測されるのはこの地域です」と地図上に表示するような形にならざるをえないと思われます。降水確率予報の導入から36年が経った今、多くの人がTPOに応じて、傘を持つかどうか日々判断して利用していますが、確率的な防災気象情報についても、地方自治体や一般市民がそれぞれの場所・状況に応じて最適の対応ができるように、防災情報の専門家とも協力して支援する取り組みが必要になります。また、台風の場合は、進路の少しの違いで高潮・暴風・大雨などの被害の想定が大きく異なります。数日後の予報は確率的にしか与えられないでしょうが、非常に強い台風が首都圏や大都市圏に近づき大きな災害が予測される際には、多数の市民の避難も含め、どのような防災気象情報の発表のタイムラインを作成するか、政府・地方自治体とより突っ込んだ検討を進めておくべきでしょう。今後の気象庁の取り組みに期待したいと思います。